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MGコラム

MGの収穫⑤「主体性は教えることができない」

2018.07.10

主体性という言葉を辞書で引くと、「自分の意思・判断で行動しようとする態度」と書いてあります。

当事務所での雇用経験と、多くの経営者、労働者を見てきた経験、自分自身の労働経験から私が痛切に感じるのは、人間が力を発揮するために最も大切なものは「主体性」だということです。

例えば職場で、あれをやってください、これをやりなさい、これのやり方はこのマニュアルの通りにしてください、電話の出方は○○で、メールの送り方は××で・・・このように何もかも指示命令をされたらどうなるでしょうか?

もちろん、最初のうちは指示命令も必要だと思います。何事にも基本というものがあり、基本を知らずに主体性だけあっても主体性は生きません。ですが、指示命令が行き過ぎたらどうなってしまうか?

指示待ち人間

マニュアル人

ロボット人

私は職業人というものは、主体性が発揮できるようになれば一人前だと考えています。
こう思うから、こうする。
主体性を持った人の心には「思い」が宿ります。決してイエスマンではありません。

Y理論で有名な小林茂氏はこの「思い」のことを創意と言いました。創意工夫の創意のことです。

人間は生まれながらにして思いを持っている。
それは誰に教えられたことでもなく、真剣に自分や世間と向き合って生きていく中で止むに止まれず育っていくものである。

そういう点では例えば受験勉強というものは、もしかしたら人から主体性を奪ってしまうものではないかと思うことがあります。
受験勉強=他人が決めた正解を当てるゲーム
そこには自分の思いなど、全く尊重されません。むしろ、コンピューターのようにプログラム通りに正解を出すことだけが求められます。

私が大学生の頃、ホテルでアルバイトを始めたばかりの時に、何でもかんでも人に聞いて指示してもらおうとしたことがありました。
ホテルの仕事はどちらかといえばマニュアルが整っていることが多いのですが、中には臨機応変な対応が必要なこともありました。おバカな大学生だった私はマニュアルで決められていないことを何も考えずに先輩に質問して呆れられたことが何度もありました。
そういう時の先輩の答えは、一言で言えば「自分で考えなさい」ということだった気がします(今では実際に何と言われたかまではよく覚えていないのですが)。
今思えば受験勉強直後の私は、もしかしたら主体性が失われてしまっていたのかもしれません。
少なくとも物事を立ち止まってじっくりと考えてみるよりも、一秒でも早く正解を教えてもらおうとしていたことだけは確かです。

MGの感想文に「私は優秀ではないから、こんな研修は続けられません」と書いてくる人がごくたまにいます(ゴルゴMGでは感想文のシェアをするかしないかを問うダイアログがあるため、シェアをしない直球の感想を書いて頂けることがあるのです)。
自転車に乗ったことが無い人がいくら考えても自転車に乗る方法がわからないのは当たり前で、乗れるようになる唯一の方法は「とりあえずやってみる」「転んでももう一度乗る」なのですが、それをできないと思い込んでしまってやってみようとしない人が実際にはいます。
これもやはり主体性の問題です。やろうとしない人にやれとは誰も言えません。これはもう、そっとしておいて本人がやる気になるのを待つよりほかありません。


主体性が毀損している方のひとつのパターンとして、ネガティブワードを口に出して言うということがあります。
やりたくなければ黙って帰ってもいいのに、わざわざ「二度とやりたくない」「来るんじゃなかった」と口に出すわけです。
これはもう、他人にそれを聞いてもらいたいからに他なりません。本人は慰めてもらいたがっているのです。
そういう時、私はその感情にあまり付き合わないようにしてます。あたかもその言葉は聞こえなかったかのように、取り合いません。負の感情を否定も肯定もしないのです。
その代わりに、少しでもポジティブな言葉が出てきたら、すぐ反応します。「ここを教えてください」「ここはどうやればいいのですか?」こういう言葉が出てきたら、何事もなかったかのように、冷静に簡潔に答えます。そうしていると、段々とその人はポジティブなことしか言わなくなり、いつの間にか笑顔でMGに取り組むようになっていました。

主体性とは、人間に行動を起こさせるエンジンです。

教育や指導、しつけなどは、ハンドルやブレーキです。

エンジンが止まっている車のハンドルやブレーキをどれだけ動かしてもどこへも行けません。

西順一郎先生のMGの思想のひとつに「教えあい、教えない、紙は自分で」というものがありますが、職場での人材育成もこれと全く同じだと思います。

教えあいはいいけれど、教えすぎはその人の主体性を奪ってしまうので良くない。だから「教えない」が大事なのです。本人が手を上げて質問してくるまでは敢えて声を掛けずに待つのです。
そもそも学びというものは、誰かからやれと言われたり、「これこれだから覚えておきなさい」などと教えられたりするのではなく、自分から「これを知りたい、これを分かるようになりたい」と意欲や目的を持っていなければ、何一つ身に付かないものです。だから学びは自分から求めて得ようとするものでなくてはなりません。これが「紙は自分で」の所以です。
 
その昔、小学校の先生が教えてくれた歌に
「自分の行く場所は、自分で見つけたい~」
という歌詞がありました。
人間は元々主体性を持っているはずなのですが、過保護教育や教えすぎのせいで、学びや気づきの本当の喜びを知らずに育ってしまうと、何一つ自分で意思決定できない主体性の毀損した人間が出来上がる気がします。

少なくともMGを愛している人は、例外なく確固とした主体性を持っています。主体性は教えることは出来ませんが、私はMGを学ぶことで主体性の大切さに気付くことが出来ました。

社員教育にMGを取り入れる会社は、様々な目的を持っておられると思いますが、個人的にMGの最も大きな効果は主体性の獲得(再生)にあるのではないかと感じています。
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