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プロフィール

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GOLGO社労士事務所 所長 木村 正士

GOLGO社労士事務所
所長 木村 正士

1970年生まれ。出生地は滋賀県長浜市石田町(石田三成の出生地と同じ)。9歳より岐阜県各務原市で育つ。

9歳で少林寺拳法、11歳で剣道を初め、中学・高校と剣道部に所属。 明治大学商学部卒業(在学中は小説家志望であった)。

就職氷河期突入前にも関わらず、内定獲得に苦労し、開き直って出版社に的を絞った結果、運良くとある中小出版社に入社。

入社後は3年間、雑誌の編集業務に携わる。業務で徹夜は当たり前。徹夜のついでに麻雀をしたり、原稿の遅い人気作家をアパートの前で待ち伏せしたりと破天荒な生活の日々。雑誌が売れなければ会社に居られなくなるような社風の中、長く勤められる業界ではないと思い退職。その後、数年間はフリーライターをしつつ都内ホテルでアルバイトという半ば浪人生活を送る。

2001年、結婚を機に愛知県知立市に移住し、名古屋市内のホテルに就職する。披露宴会場の接客業務に本格的に従事するも、3年後にホテルの経営が悪化し、転職を余儀なくされる。

その後、近隣の自動車関連メーカーで期間従業員として勤務当初は家族を養ってゆくために安定した職業をと、正社員登用試験を受験したが、あまりの倍率の高さと、コネの有無により合否が左右されるという事実を知る。

当時既に2人の子がおり、生活を安定させることは急務であったが、年齢も30代半ばで再就職が困難になりつつあり、それまでの人生を通じて性格的に組織の一員として生きてゆくのは難しいのではないかと考えていたこともあり、サラリーマンの道を断念。

※このことは後にTA診断により典型的な経営者向きの性格であることが判明した。

自分にできることが何かを分析したところ、目標を決めて試験を受験するという局面ではそれなりの勝率を残していることが分かったため、独立開業が可能な国家資格を検討し、比較的短期間で合格できそうだと思われた社会保険労務士の受験を決意する。

最初の年は市販の参考書で勉強したものの不合格。誤記誤植の多さに時間をロスし、理解に行き詰まった時に質問ができる環境が無かったことが敗因と分析し、本試験の翌日から業界で定評のある専門予備校の通信教材を購入し、質問制度も活用して学習効率を改善。模試の結果を分析し時間配分を工夫した後は成績が安定。その甲斐あって2年目の2006年に合格。

合格はしたものの、当初はどうすれば事業が成り立つかが分からず、地元の先輩社労士の先生を訪ねて回り教えを乞うたり、開業塾に通ったりと、暗中模索の日々を送る。先輩の薦めもあって売上ゼロの頃から青年会議所に入会し、若手経営者の仲閒と共に「修練」「奉仕」「友情」をテーマに活動を開始。

その後、様々な人々からご紹介やご縁を頂き、ひとつひとつのお仕事を「頼まれ事は試され事」と精一杯行い、無我夢中で走り続けて今日に至る。

映像・インタビュー

社会保険労務士を志すまで
社会保険労務士という道を選択したわけ
Youtubeトーク番組
インタビュー記事
木村正士インタビュー

所属団体等

  • 愛知県社会保険労務士会(三河西支部)
  • 一般社団法人 知立青年会議所(特別会員)
  • 愛知中小企業家同友会(知多北部)
なぜ僕が社会保険労務士をやっているのか?

経営理念

経営者の力になることを通して、
より良い職場、
より良い社会、
を作っていく。

所長の木村はサラリーマンになろうとしたが、うまくいかずに苦労した。

生活のために、止むに止まれず起業した社会保険労務士という仕事を通じて経営者の本当の姿を知り、経営者という生き方に魅力を感じた。

誰にも守ってもらえない立場で、厳しい現実に立ち向かいながら、仕事を通して世の中に貢献する経営者の力になりたい。

より良い職場を作ることで、関わる企業の社員に安心して働いてほしい。

自分のように起業して経営者になる人の力にもなりたい。

そういう思いで働いています。