GOLGOのひとりごと
【その他雑感】記事一覧
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- 2024.05.15
- ホテル時代の元上司の話
- 2024.02.06
- 私とコンピュータ「ファイル名を自動入力する」
- 2023.12.18
- 長浜MG~近江牛に想い出を添えて~
- 2023.11.14
- 有給休暇管理表の上手な作り方
- 2023.09.18
- 給与計算はタテ割よりヨコ割が便利!
- 2023.08.25
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- 2023.08.15
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- 2023.03.14
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- 2023.02.14
- パワハラ対応におけるTOC
- 2023.01.31
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- 2023.01.27
- 運命神ヤーンと出会いの法則について
- 2023.01.25
- パワハラ対応で感じたこと
- 2022.08.05
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- 2022.01.12
- 1200期達成おめでとうございます!
- 2021.05.21
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- 2021.04.09
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- 2020.10.16
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- 2020.09.09
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- 2020.06.06
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- 2020.06.05
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- 2019.03.05
- 簿記3級を試験勉強一日でクリアする方法
- 2018.10.16
- 人生戦略は3つの資本で定義できる!
- 2018.07.10
- MGの収穫⑤「主体性は教えることができない」
- 2018.04.16
- 10年後の仕事図鑑
- 2018.03.09
- 人生100年時代 ~新しい働き方と求められる能力~
- 2018.02.08
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- 2018.01.08
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- 2018.01.07
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- 2015.11.12
- 社労士がビジネススクールで学ぶ理由
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- 経営者らしいものの考え方【逆選択】
- 2015.05.30
- 経営者らしいものの考え方【モラルハザード】
- 2015.05.22
- 経営者らしいものの考え方「囚人のジレンマ」
- 2015.05.15
- 経営者らしいものの考え方【機会費用】
- 2015.05.08
- 経営者らしいものの考え方【サンクコスト】
- 2015.03.25
- ゴルフの個人レッスン
- 2014.10.01
- 開業8年目
- 2014.09.26
- 永遠の0
- 2014.04.07
- グロービスマネジメントスクールに通ってます
- 2014.02.06
- 書籍の紹介「失敗の本質」
- 2014.01.05
- なぜ社員は社長のように考えられないのか?(企業にとっての憲法論)
- 2013.10.27
- 心をコントロールする方法(書籍の紹介「やってのける」)
- 2013.08.16
- 「未来の働き方を考えよう(ちきりん著)」
- 2013.05.06
- 消費者目線で感じたこと(自転車購入)
- 2013.01.01
- 新年明けましておめでとうございます!
- 2012.12.17
- 断食道場
- 2012.12.15
- 私の趣味(どうでもいい、つまらない話)
- 2012.11.15
- 知立市長選挙の公開討論会
- 2012.11.15
- 経営者らしいものの考え方【比較優位】
- 2012.11.15
- モレなく、ダブリなく
- 2012.11.13
- iphone5を買いました
- 2012.11.12
- 経営者らしいものの考え方(機会費用)
- 2012.09.13
- 書籍の紹介(死ぬときに後悔すること25)
- 2012.09.11
- 書籍の紹介(断食道場の先生の本「人間の頂」)
相談相手に必要なこと
ある経営者の交流会で経営課題を深堀するというチャレンジをしていた頃の話。
経験豊富な先輩の所へ相談に行ったことがありました。
その人はとっても良い人で、親身になって話を聞いて頂けました。
その点はとても感謝しているのですが、ひとつ困ったことがありました。
それは、途中から主役が入れ替わってしまうことでした。
相談相手、つまり壁打ちパートナーがするべきことは何でしょうか?
私はテニスが趣味で壁打ちをしたことがありますが、壁は私が打ったボールをその勢いのまま逆の方向へ跳ね返すだけです。
決して壁が意思を持ってボールを打ってきたりはしません。
ところが先輩は、いつの間にか主体性を発揮して、意見を持ってしまったのです。
そうなってしまうと、当の相談者はそっちのけになってしまいます。
もちろん、そもそもの目的であったはずの経営課題の深堀りもできなくなってしまいます。
その会では、課題を解決するために対策を考えるのですが、課題についての認識がすれ違ったままで考えられた対策は意味を持ちません。
なのに、課題について合意が得られてないのに、先走りして対策を考えてひとり満足してしまうような壁打ちパートナーをこれまでたくさん見てきました。
別の会でも、同じでした。ある目的のために事業を行うというのがその会だったのですが、目的について明確化できていないのに手法である事業を考えてしまうという間違いがとても多くみられました。
そういう時は、あらかじめ手法ありきで進んでしまい、それに合う目的をでっちあげる必要が出てきますが、こういうのは大抵うまくいきません。
私が経営者の交流会で学んだことのひとつは、物事を考える時には順序を守らなくてはならないということです。
・課題をまず明確にしてから、対策を考える
・目的をまず明確にしてから、手法を考える
どちらも二段階の構造なのですが、圧倒的に一段階目が重要です。
むしろ、一段階目さえしっかりとできれば、二段階目は自然と出てくるといっても良いかもしれません。
学んだもうひとつのことは、壁打ちパートナーは壁に徹する必要がある、ということです。
先の先輩のように、相談相手であるはずの人が主体になってしまうことは避けなければならないのですが、人は悪気なくそういうことをしてしまいがちです。
親身になって一緒に課題について考えているつもりでも、いつの間にか相談相手側の勝手な思い込みによって話が進んでしまう。
文字通り壁打ちパートナーが壁に徹するためにはどうすればいいのでしょうか?
質問会議というメソッドがあります(書籍が出ています)。
相談者と相談相手がいるとしたら、相談者は目的や問題といったテーマを提示します。それに対して相談相手は意見は言わずに質問だけを許されるというやり方です。
相談者が掲げたテーマに対して、相談相手は意見を言いたくなるのをぐっとこらえて質問だけをするのです。
相談相手からの質問に対して相談者が答えるという繰り返しで会議が進みます。
その結果、テーマが解決されることもあれば、テーマが再定義されることもあります。
テーマを再定義するのは相談者の役割です。
テーマの再定義によって課題の明確化がなされることはよくあります。
これに対して相談相手は意見を言うことはしませんが、同意か不同意かを示すことはOKです。
つまり、意見と反応は別のものとして捉えます。
その後は、不同意の人が再度質問をするという繰り返しで進んでゆきます。
このプロセスを通して、メンバー全員がテーマに対して理解を深めて成長することに繋がるとされています。
ちなみに質問会議の逆が意見会議です。
相談者が掲げたテーマに対して、相談相手であるメンバーがそれぞれに(勝手な)意見を言うというやり方です。
Aだから(課題)、B(対策)をやればいいんじゃないか。
意見会議ではAの部分は曖昧なままで、Bの意見ばかりが出てきてしまいます。
これだとちっともまとまらないですよね。
まとまらないだけならまだいいのですが、その場の雰囲気で方向性がある程度決まった後で、別のメンバーから「そもそも課題はCなのではないか」というそもそも論が出てきてしまい、何度も議論が堂々巡りになってしまい時間だけが浪費されていくということを何度も経験しました。
質問会議というメソッド自体があまり知られていないため、私も本格的に質問会議をやった経験は少ないのですが、自分が相談相手の立場になった時にはできるだけ意見を言わずに質問によって相手の課題を浮き彫りにすることを意識しています。
ホテル時代の元上司の話
もう20年も前、私はあるお役所系のホテルに就職した。在籍していた3年間、私の上司だった人物がいる。ホテルの頭文字をとって仮にH氏としておこう。
彼は私よりふたつくらい歳上の人で、宴会部門の責任者だった。
私が30歳くらいだったから、彼もまだ30代前半だったと思う。
若くして現場を任されるのだからそれなりに優秀だったのだろう。
彼は宴会部門を我が物顔で取り仕切っていた。
新入りは彼からパワハラを受けるのが恒例だった。
私の前に入社した先輩が散々目の前で搾られるのを見ていたので、薄々予感はしていたが、その先輩が辞めてしまうと、やはり順番が回ってきた。
例えば宴会場のテーブルの並べ方が1センチずれている、といった理由で何時間も無駄に残業させられる。もちろん残業代など出ない。すべてサービス残業だ。
やれ教育だ!自己研鑽だ!何かと理由を付けて長時間労働させられる体質の職場だった。
宴会部門の仕事の流れは、昼間は会議をやり、夜は宴会をやり、宴会が終わると翌日のセッティングをするといった感じだ。週末には婚礼もある。
ようやく宴会場の仕事が終わると、今度は勉強の為と称してレストランの手伝いをさせられる。
レストランがクローズすると、今度は事務所で酒盛りが始まる。
どこからお酒を調達するかといえば、宴会場の冷蔵庫からだ。
その為に飲み放題プランの時は、実際に出た本数よりも多く伝票を切るようにH氏から固く指示されていた。
私は酒が弱いのでいつもウーロン茶しか飲まなかったが、宴会部門は酒の強い人が多く、毎晩ひとり5本くらいはビールを飲んでいたと思う。
冷蔵庫から運んでくる役割は当然新入りの仕事だった。
H氏の名誉のために補足するが、こうした悪習は彼だけの責任ではない。
このホテルでは、ずっと前から行われてきた事だからだ。それこそ昭和の時代から。
お役所が経営しているホテルだったから、コンプライアンスが行き届いているかというと、そうではない。
国のお金で経営されているホテルには、経営者がいない。支配人という人が全体の責任者だが、おそらくどこかの省庁からの天下りで、2~3年ごとに入れ替わる。
だから社員が不正をしても誰の懐も痛まないのだ。
要するにやりたい放題だった。
共産主義国家で官僚の腐敗が起こる構造もこれと同じだ。
(少子高齢化で年金の財源が足りないなどと言われているが、年金を財源にして建てられたホテルというのは、大体こんなふうに運営されていたのだから、赤字になるのも当然だ。この会社に入る前にも、いくつかのホテルでバイトした経験があるが、○○年金会館みたいな所では仕事終わりに酒を飲む事が慣習になっていた)
結婚式を担当すると、よく新郎新婦の両親から一万円くらいのチップを貰ったが、それも担当者コンビで山分けするのがしきたりだった。最近のホテルではそれも会社に差し出すようになったと聞く。
ちなみになぜかH氏と組んだ時にはチップを分け合った記憶がない。たまたまチップが貰えなかっただけかもしれないが。。。
このホテルは酒好きの人にとっては良い職場かもしれないが、私には苦痛だった。
中途採用で簡単に入れた割に給料はそこそこ良かったのはそういうわけだった。当然社員の定着率は低い。
当時私は新婚で、長男が生まれたばかりの頃だったのに帰りは毎晩終電だった。
更に辛いのは酒盛りに何時間も付き合わされる上に、食べる物が全く無いのだ。
どうせ酒盛りをするのなら、宴会の料理も残しておけばいいのに、と思ったがそれは許されていなかった。
多分、H氏は飲む時は食べないタイプの人なのだろう。本当の酒好きはそうらしいから。
ちなみにH氏が休みの日は、みんなで示し合わせてさっさと帰ったものだった。
今から思うと、H氏がみんなを帰らせないようにしていたのは、教育のためというよりは、酒盛りのためだったのではないだろうか?
宴会部門の人間たちが夜、酒を飲んでいることはフロントや営業の人たちは黙認していた。とはいえ、共犯者が少ないと内部告発されるリスクがある。早番の人間が先に帰ることはそういう点で不都合だったのだ。つまり、みんなを共犯にする事で、自分が安全にタダ酒を飲めるようにする事が真の目的だったのではないか?
そんな職場に三年もいたのだから、あの頃の自分はよく我慢したと思う。
人間というのは結婚して、子供が生まれれば人はモチベーションが上がるものなのだろう。
そのやる気を逆手にとってパワハラが行われるのだから、実に悲惨な状況だったと思う。
今でいう、やり甲斐搾取という奴だ。
もちろん会社にとっての損失も大きかったことだろう。
そんなわけで、私はホテルを辞めて、別の道を進んだのだが、後日談がある。
最近、そのホテルを定年退職した人に会う機会があったのだ。
あの人はどうしたとか、あの時はこうだったとか、思い出話に花が咲いた。
そんな中でH氏の話も聞いた。
あの職場を牛耳っていた人なのだから、さぞや出世したのではと思いきや?
・・・なんとH氏は退職したらしい。
当時は組織ぐるみでやりたい放題だったあの職場にも、その後メスが入る時が来たそうだ。
毎晩のように深夜までやっていたタダ酒飲み放題に、ついに禁止令が出た。
禁止令に逆らって酒瓶を事務所に運び、以前のように酒盛りを復活させようと抵抗するH氏。
そんな彼を最初のうちは庇って注意していた仲間たちだった。
確かにそれまでは、みんなが共犯していたのだから、彼の気持ちもわかるのだろう。
ところが今度はH氏は酒瓶を鞄に詰めて持ち帰るようになってしまったという(さぞ重かったろうに)。
こうなってしまうと後の祭りだ。
若くして宴会部門の責任者になり、職場では一時代を築いたH氏だったが、最後は懲戒解雇されてしまった。
優秀な彼がなぜそんな愚かな行動に走ったのか?
おそらく原因は酒だろう。
長年の習慣が彼の体をアルコール無しではいられなくしてしまったに違いない。
私にとってはつらいパワハラの相手だが、会社にとっては有用な人材だったはずである。
そんなH氏が、アルコール中毒患者になってしまった原因は、間違いなくあのタダ酒だったと思う。
そしてパワハラの原因もその環境にあると言って良いだろう。
H氏は経営者ではないので、社員にサービス残業をさせる事にインセンティブは本来働かないはずだ。
ところがこの会社ではタダ酒を安全に飲むために共犯者を増やすというインセンティブが働いていた。
結局のところ、不正がパワハラやサービス残業を生んでしまっていたことになる。
私とコンピュータ「ファイル名を自動入力する」
MGの感想文をメールで送る時や請求書をメールで送る時、PDFに相手先の名前を付けるという作業があります。
一種のあて名書きみたいな作業です。
これまでファイルの中でデータをやり取りすることについては、ある程度自動化できていましたが、そのファイルの名前そのものは人間が手入力するのが当たり前だと思っていました。
ところがある時、これが面倒であることに気付きます。
一見、単純な作業なのですが、相手が何十人もいたりするとそれだけで疲れます。
相手の名前や社名というものは、間違えると失礼な割に、その仕事にクリエイティビティは必要ありません。正確性だけが求められる作業です。
こういう作業に人間の労力を使うことは間違っている!と気づいたのです。
というわけで、まずは検索。
ぴったりの情報はなかなか出てこないが、キーワードを工夫してみると情報が見つかりました。
・ウィンドウズでフォルダのアドレスバーに「CMD」と入力すると「コマンドプロンプト」という黒い画面が表示される
・「コマンドプロンプト」で「ren」というコマンドを使うと、ファイル名を変更できる
「ren」とは、renameの略でしょう。
(実際調べてみるとrenameと打ち込んでもそのまま機能するらしいです)
例えばテストというフォルダをデスクトップに作って「CMD」と入れるとこんな風に表示されます。
C:\Users\Owner\Desktop\テスト>
ここに「ren」というコマンドを入力します。「あいうえお」という名前のテキストファイルを「かきくけこ」に変更する時はこうです。
C:\Users\Owner\Desktop\テスト>ren あいうえお.txt かきくけこ.txt
注意が必要なのは拡張子「.txt」。
コマンドプロンプトでは拡張子を省略することができません。
また、コマンドと変更前のファイル名、変更後のファイル名の間には必ず半角スペースを入れなくてはなりません。
あと、面倒くさいのは元のファイル名をわざわざ入力しなければならない所。
これは「dir/b」というコマンドでファイル名を取得してくれます。
C:\Users\Owner\Desktop\テスト>dir/b
なので、実際にはエクセルで&関数を使って
ren 変換前のファイル名 変換後のファイル名
というコマンド文章作成用ファイルを作って、変換前と変換後をそれぞれリスト化して使っています。
ひとつひとつ確認しながらファイル名を入力するのに比べると、時間そのものは数が相当多くないと変わりませんが、自動化した方が一覧を見て確認できるので疲れません。
長浜MG~近江牛に想い出を添えて~
長浜MGに行ってきた。
今回は残念ながら天気が悪く、伊吹山も見られなかったが・・・。
有給休暇管理表の上手な作り方
ある日の事務所内の会話より
各社員の2020.1~2023.9の有休消化実績をいただいてますが、「それより前の有休は2020年の消滅&付与の際に満日数になる程度の消化しかしていない(つまり、前々年の有休は使い切る前に消滅)」と見做してしまってよいでしょうか。どこかのタイミングでそう見做さないと、前々年は?前々々年は?その前は?とキリが無く結局入社当初から把握し直さなければならず…
こういう思い込み、ありますね。
この時は、エクセルで次のようなデータを作ろうとしていました。
付与日数 | 消化日数 | 残日数 | |
2020/1/1 | 20 | 1 | 19 |
2020/2/1 | 1 | 18 | |
2020/3/1 | 18 | ||
2020/4/1 | 18 | ||
2020/5/1 | 18 | ||
2020/6/1 | 18 | ||
2020/7/1 | 18 | ||
2020/8/1 | 18 | ||
2020/9/1 | 18 | ||
2020/10/1 | 18 | ||
2020/11/1 | 18 | ||
2020/12/1 | 18 | ||
2021/1/1 | 20 | 38 | |
2021/2/1 | 38 | ||
2021/3/1 | 38 | ||
2021/4/1 | 10 | 28 | |
2021/5/1 | 28 | ||
2021/6/1 | 28 | ||
2021/7/1 | 28 | ||
2021/8/1 | 28 | ||
2021/9/1 | 28 | ||
2021/10/1 | 28 | ||
2021/11/1 | 28 | ||
2021/12/1 | 28 | ||
2022/1/1 | 20 | 40 | |
2022/2/1 | 40 | ||
2022/3/1 | 40 | ||
2022/4/1 | 3 | 37 | |
2022/5/1 | 2 | 35 | |
2022/6/1 | 20 | 15 | |
2022/7/1 | 15 | ||
2022/8/1 | 15 | ||
2022/9/1 | 15 | ||
2022/10/1 | 15 | ||
2022/11/1 | 15 | ||
2022/12/1 | 15 | ||
2023/1/1 | 20 | 35 | |
2023/2/1 | 35 | ||
2023/3/1 | 35 | ||
2023/4/1 | 35 | ||
2023/5/1 | 35 | ||
2023/6/1 | 35 | ||
2023/7/1 | 35 | ||
2023/8/1 | 35 | ||
2023/9/1 | 35 | ||
2023/10/1 | 35 | ||
2023/11/1 | 35 | ||
2023/12/1 | 35 | ||
2024/1/1 | 20 | 40 |
「毎年1月に付与されるとすると、翌年1月にも付与されて、2年後に最初に付与された分の残りが消滅して・・・」
数式を入れていてもゴチャゴチャになってきます。
そこで、表をちょっと工夫してみました。
付与日数 | 消化日数 | 消滅日数 | 繰越日数 | 当年付与の残日数 | 合計残 | |
2020/1/1 | 20 | 1 | 19 | 19 | ||
2020/2/1 | 1 | 18 | 18 | |||
2020/3/1 | 18 | 18 | ||||
2020/4/1 | 18 | 18 | ||||
2020/5/1 | 18 | 18 | ||||
2020/6/1 | 18 | 18 | ||||
2020/7/1 | 18 | 18 | ||||
2020/8/1 | 18 | 18 | ||||
2020/9/1 | 18 | 18 | ||||
2020/10/1 | 18 | 18 | ||||
2020/11/1 | 18 | 18 | ||||
2020/12/1 | 18 | 18 | ||||
2021/1/1 | 20 | 18 | 20 | 38 | ||
2021/2/1 | 18 | 20 | 38 | |||
2021/3/1 | 18 | 20 | 38 | |||
2021/4/1 | 10 | 8 | 20 | 28 | ||
2021/5/1 | 8 | 20 | 28 | |||
2021/6/1 | 8 | 20 | 28 | |||
2021/7/1 | 8 | 20 | 28 | |||
2021/8/1 | 8 | 20 | 28 | |||
2021/9/1 | 8 | 20 | 28 | |||
2021/10/1 | 8 | 20 | 28 | |||
2021/11/1 | 8 | 20 | 28 | |||
2021/12/1 | 8 | 20 | 28 | |||
2022/1/1 | 20 | 8 | 20 | 20 | 40 | |
2022/2/1 | 20 | 20 | 40 | |||
2022/3/1 | 20 | 20 | 40 | |||
2022/4/1 | 3 | 17 | 20 | 37 | ||
2022/5/1 | 2 | 15 | 20 | 35 | ||
2022/6/1 | 20 | 0 | 15 | 15 | ||
2022/7/1 | 0 | 15 | 15 | |||
2022/8/1 | 0 | 15 | 15 | |||
2022/9/1 | 0 | 15 | 15 | |||
2022/10/1 | 0 | 15 | 15 | |||
2022/11/1 | 0 | 15 | 15 | |||
2022/12/1 | 0 | 15 | 15 | |||
2023/1/1 | 20 | 0 | 15 | 20 | 35 | |
2023/2/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/3/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/4/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/5/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/6/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/7/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/8/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/9/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/10/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/11/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2023/12/1 | 15 | 20 | 35 | |||
2024/1/1 | 20 | 15 | 20 | 20 | 40 |
毎年1月の残日数の出し方がわかりやすくなったのがわかるでしょうか?
結論としては、2024/1/1時点での残日数を出す上では、2022/1/1からのデータだけあれば十分です。もし理屈が分からなくても、この表に何パターンかのデータを入れてみれば、帰納的にそれがわかります。
前年12月時点での繰越日数が翌年1月の消滅日数に移動して、
前年12月時点での当年付与の残日数が繰越日数に平行移動する。
処理の内容が目に見える形になっただけで、ものすごく分かりやすくなりますね。
それまでは、残日数というわかりにくい概念であったものを、繰越日数、消滅日数、当年分の残日数というよりわかりやすい概念に切り分けたところがポイントです。
こういうことをスゴイ!と感動する人が居たりしますが、実際には大したことをやっているわけではありません。
・人間の脳のメモリーは非常に少ない
・頭の中で考えず、紙やソフトに並べて眺める
・わかりにくいものは要素に分解してみる
・ゴールが見えなくても、とりあえずやってみる
・ひとりで考えずに誰かに相談する
これらの基本的な思考パターンを持っているかどうか?
実際、何時間掛かっても解けなかった問題が、ほんの5分ほどでこの答えに辿り着くことができました。
MG、TOC、マイツールで学んだ思考パターンはとても役に立っています。
給与計算はタテ割よりヨコ割が便利!
給与計算の重要な概念について説明します。
割増賃金をどうやって計算するか?という話です。
割増率自体は簡単です。
時間外(残業)25%
深夜25%
休日35%
ところがこれらの割増率にどの時間を掛けるか?というのが問題です。
たとえば、朝9時から働いて、深夜1時まで働いたような場合に、所定時間が8時間、普通残業が4時間、深夜残業が3時間などと言っている会社は給与計算に無駄な手間暇を掛けていると思われます。
所定時間の時給1000円
普通残業 1250円
深夜残業 1500円
この日の賃金は1000*8+1250*4+1500*3=17,500円
このような計算になります。
問題は、普通残業4時間、深夜残業3時間という時間数を割り出すことが難しいことです。
もちろん、22時以降が深夜で8時間を超えたら残業なのですから、がんばって計算すれば求めることは不可能ではありません。ですが、とても複雑になってしまいます。エクセルの数式などで簡単に計算することはできません。
例えば朝4時から働いて深夜1時まで勤務した場合などはもっと複雑になります。
朝4時から5時の間は深夜時間となりますが、その時間は残業ではありませんので、更に所定深夜(1250円)という区分が必要になります。
所定深夜=1*1250=1250
所定=7*1000=7000
普通残業=9*1250=11250
深夜残業=3*1500=4500
合計=1250+7000+11250+4500=24000
これらを毎日のタイムカードを見ながら人が計算するのは本当に大変です。
これがいわゆる労働時間のタテ割計算という奴です。
所定時間、普通残業、深夜残業、所定深夜、休日勤務、休日残業という6種類もの情報が必要となります。
ところが労働時間をヨコ割してみるとこれが驚くほどシンプルになります。
朝4時から深夜1時まで勤務した場合に必要な情報は出勤時間と退勤時間だけで済みます。
まずは出勤時間と退勤時間から昼休を差し引いて黄色の部分の面積を求めます。
高さは時給1000円として、20時間なので
所定(黄色の面積)=1000*20=20,000
深夜(紫色の面積)=250*4=1000
残業(オレンジ色の面積)=12*250=3000
最後にこれらを合算すれば、24000円となります。
当然のことですが、同じ図形の面積を縦に切って計算しても、横に切って計算しても同じ結果となります。
タテ割の場合は6種類もの情報が必要でしたが、ヨコ割の場合は出勤時間と退勤時間さえあれば、あとは計算で出すことが可能です。
前例主義の会社などではタテ割でわざわざ不便な計算を行っている所も多いようです。
子供の壁と行入のチカラ
6月のMG for Studentsに参加した中から3人の子供たちが8月の平日コースに参加してくれた。
前回はほとんど初心者ばかりだったこともあり、4期の決算すら全員終えることができず残念な結果だった。
私が感じた子供の壁
・丁寧にやることの意味が分からない
・集中することの意味が分からない
・本気を出すことの意味が分からない
・方程式がわからない
だが、決算をやり遂げるために大切な何かが不足している。
真剣さを伝えるには、こちらが真剣に伝えることが必要だ。
目を見て、信じて、真剣に伝える。
できる子はできるが、できない子はどうしたらいいのか?
一度体験したら二度と元のやり方に戻りたくなくなる便利な振込のやり方
今回も給与の振込のお話です。
振込といえば、昔だったら銀行のATMまで出向いて画面の指示に従って一人分ずつ間違えないように口座情報と金額を手入力していく・・・1件か2件ならこれでもいいのですが、社員何十人分もの給料をこんな風に振込処理していたら日が暮れてしまいますよね。ATMも長蛇の列になってしまって顰蹙を買ってしまいそうです。ATMができる前は窓口で振込処理をしていた時代もありました。想像を絶しますね。
流石に今ではインターネットバンキングが普及していますので、会社のパソコンからこれらの処理を行えるようになりました。ですが、給与の金額を1円でも間違えたら大変ですので、ひとりひとりしっかりと確認が必要です。しかも最近はセキュリティ強化のためにワンタイムパスワードをいちいち入れなくてはならなくなりました。ひとりに1分掛かるとしても、30人で30分も集中した作業が必要になります。作業の途中で電話が掛かってきたら困ってしまいそうです。たった30分と思われるかもしれませんが、30分も集中して作業するというのはとても疲れます。担当者は終わったらグッタリとしてしまうかもしれません。もう午前中は難しい仕事はする気が起きないと思っているかもしれませんね。まさか社長ご本人が大切な時間をこんなことに費やしてたりしませんよね? あーもったいない。
実は昭和の時代から全銀フォーマットというデータ形式を使えば、一瞬で何百人分でも「正確に」振込処理が行えるやり方があったそうです。
そりゃそうですよね!
振込なんて取り扱うデータは全部デジタルデータですから、そういうことが可能だというのは誰でも考え付くことです。
この全銀フォーマット。今でもネットバンキングでテキストファイル(メモ帳)を指定するだけで読み込ませることが簡単にできます。
一度でもこのやり方を経験したら、二度と元のように一件ずつ入力するというやり方には戻りたくなくなります。今まで無駄な時間を費やしていたのは何だったのだろう?と思うこと請け合います。
さあ!一円も利益を生まない単純で気を使う作業は、デジタルで合理化して、余った時間をもっと価値のある業務改善に生かしましょう!
(当事務所では給与計算結果を全銀フォーマットの形式にして納品するサービスを無料で行っております)
ムダな振込手数料を払っていませんか?
ある銀行の給与振込と総合振込について調べてみました。
・給与振込はデータ送信期限が2営業日前の10時
例えば、8/10の9時に送信した場合、12日に給与振込される。
給与振込の手数料はその銀行の本支店間は0円、他行は220円
・総合振込は、データ送信期限が振込指定日の前営業日19:00まで
例えば、8/10の19時までに送信した場合、11日に給与振込される。
総合振込の手数料は、その銀行の本支店間は330円.他行は605円
(給与振込、総合振込ともに実際の手数料は会社ごとに異なる。ボリュームディスカウントなどがある模様)
(FBデータを使う場合と、ネットバンキングから手入力する場合とでは、振込期限、振込手数料は同じ)
例えば、25日に給与を振込したい場合、(23日~25日はいずれも銀行営業日と仮定)
総合振込・24日の19時まで
給与振込・23日の10時まで
実質2日間のタイムラグがあります。
一方、社員50人に給与を振り込む場合の手数料は(全員が他行の口座だった場合)
総合振込・50×605=30,250円
給与振込・50×220=11,000円
つまりこの会社の場合、2日間のタイムラグを調節することで2万円近く経費を節減することができるのです。
社員のために、できるだけ早く給与を支払ってあげたいと思う社長さんは多いと思いますが、人数が増えてくると振込手数料も馬鹿になりません。
なお、振込処理を迅速に行いたい場合には、FBデータ(全銀協ファイルフォーマット)の利用がお勧めです。
一気飲み死亡事件をどうすれば無くせるか?
【速報】サークル飲み会で近畿大学生が一気飲みし死亡…同席の元学生ら16人に賠償命じる 救護義務違反など認める 大阪地裁 遺族「二度とこんなことは起きないで」
この問題の本質は同調圧力への対処にあります。
飲み会の場で、みんなが一体感を味わい、盛り上がっている時に自分だけ一気飲みを断ったら空気に水を差してしまうのではないか? という躊躇が「自分がちょっと我慢すれば済む」という方向へ思考を誘導します。
当然のことながら、「飲めません」と言う勇気を持つことが一番大事なのですが、日本社会は「和」を大事にするため、そういう勇気を発揮した人間には「空気を読めない奴」「自己中心的な奴」「お前と飲んでもつまらない」といったレッテルを貼られ、人間関係的な制裁を科されるか、もしくはそうされるのではないかという心理的なプレッシャーが個人に押し寄せます。
さすがにいい大人になればなるほど、一気飲みのような低レベルな盛り上がり方をしなくても共感を高めるコミュニケーションができるようになりますが、若年者や未熟な大人(大人にも色々いるので)では一気飲みのようなコミュニケーションは残念ながら残っています。
「和」という文化は他人の気持ちへの配慮を重視します。飲める人間が多い場合は飲めない人間が飲める人間に配慮して無理をして一気飲みすることで、みんなが同じだということになり「和」が成立します。
逆に、飲めない人間が多い場では、飲める人が飲むのをやめるのをよく見かけます。そういう人に理由を聞くと、シラフの人たちの中で自分だけ酔っぱらうのが恥ずかしいと言われます。これも「和」なのかもしません。
主体性とは「自分の意思・判断で行動しようとする態度」のことです。
「和」を重んじる日本人的気質は「主体性」とはマッチポンプの関係にあります。
「協調性」と「主体性」もマッチポンプです。
私個人としては、「和」と「主体性」を使い分けるようにしています。この事件の場合のような重要な局面になればなるほど「主体性」の出番が増えます。どうでもいい時には「和」でやり過ごすこともよくあります。普段は和んでいても、「いざとなったら空気を破る」という覚悟を持つことが大事ですね。消防士や軍人さんも普段は優しいのと同じで。
アイデア募集する側に求められる配慮とは?
以前に家族で休みにどこか行こうということになり、当時中高生くらいだった子供たちにアイデアを募ったことがある。その時に全然意見がまとまらなくて困ってしまった。
これが子供たちがまだ小学生くらいで、あまり分別を持っておらず、大人の決めたことに従ってくれるうちは何とかなるのだが、中高生くらいになるとそれなりに理屈も言うし意見もある。それら様々な意見を限られた予算と時間的制約の中でまとめるのは非常に難しい。出された案の中にはやむを得ず却下しなくてはならないものもある。ところがそういうことが続くと、案を却下された人間は「そんな風にするんだったら最初から自分で決めればいい。考えるだけ時間の無駄だ!」という気分になってしまう。実際、そういう指摘を子供から受けた。
実は私も最近逆の立場でそれと同じ経験をした。
登山の時にテント内で食べる食事のメニューを考えることになったのだが、私はビーフシチューを予め煮込んで冷凍して持っていくという案を考えた。ところがリーダーから、今回の合宿ではグループ内で協力して調理をするということも経験してほしいから、現場で作れるメニューにしてほしいと言われてしまった。
ビーフシチューは煮込みに時間が掛かるし、食材の運搬なども考えると、例えば缶入りのトマトとかワインとかを使うのだが、それらの包装材などのゴミも出てしまう。そうしたもろもろの事を考えると、山のテント内という限られた条件の中では事前調理してシップ袋に入れ冷凍し、現場でコッヘルで解凍して食べるというのが最も合理的なのだが、リーダーからの後出しジャンケンのせいでこのアイデアは台無しになってしまった。現場で素材から煮込んで作ることは理屈としては不可能ではないが、テントの中で小さなガスと小さなコッヘルを使って作ったとしても、当初私が意図していた「美味しいビーフシチュー」は到底できっこない。共同調理の体験という条件が後出しで出されたことによって、私の「美味しいビーフシチューを食べてもらいたい」という思いは、ゴミ箱に捨てられてしまったも同然だった。
まさに家族にアイデアを募ったときとは逆の立場を経験したわけであるが、実に不愉快な気分を味わった。
なぜ不愉快か?
時間のムダ、労力のムダ、それは確かに不愉快だが、それ以上に残念に思ったのは、「美味しいものを食べてもらいたい」という善意を受け取ってもらえなかったことにある。
これが仕事であれば割り切りやすいのかもしれない。クライアントの要求には機械的に従えばいいと考えれば済む。合理性だけで判断すればいい。それもひとつのプロフェッショナルだ。そうではなく、遊びであるからこそ、何とかして楽しくしたい、どうせやるならいいものを!という善意がそこに生まれる。
そして善意が却下されると人間は心が折れる。
単なる時間のムダであれば、仕方ないとやり直すこともできるが、善意というものはそんなに簡単に代替できるものではないからだ。
私が家族にどっか行こう!とアイデアを求めた時も、彼らは同じ時を一緒に過ごしたいという善意を持って一生懸命考えてくれたに違いない。
それを「前もって聞かされていない理由」で却下されたらやる気が無くなるのも理解できる。
つまり「善意=思い」と「合理性」とはまったく違うものだということだ。
こうした前提で考えると、アイデアを求める側はどんな配慮をすべきだったのだろうか?
まず、アイデアを出すという行為には善意が詰まっており、出てきたアイデアを否定することは相手の善意をも否定することになってしまうという覚悟を持つ必要がある。
そうなると安易にアイデアを求めるという行為は慎むべきである。
それでもせっかくみんなで過ごすのだから、アイデアを出し合っていいものにしたいという思いがある場合、まずは自分の思いをしっかりと相手に伝え、隠された前提などが無いように注意を払う必要がある。登山の例で言うならば、どのくらいの調理スペースや機材、時間、予算などが確保されているか、そしてどのような目的でメニューを考えるか、といったことを事前に伝えておくこと。それをしっかりやっておかないと、アイデアを出す側がやる気を失うことになってしまう。
メンバーにやる気がある時は特に、せっかくのやる気を無駄にしない配慮がリーダーには求められる。
パワハラ対応におけるTOC
今回のパワハラ対応で役に立ったのはTOC(制約条件理論)という考え方です。
・ものごとはそもそもシンプルである
・どんな対立も解消できる
・人は常に善良である
TOCでは、どんなシステムであれ、常にごく少数の要素または因子によって 全体のパフォーマンスが制限されているという考え方をします。
例えば、パワハラ問題などは人と人との問題ですので、感情がからんで誰かを悪者にしてしまったりしがちです。
確かに人が人を傷つけてしまうということは事実なので、人に罪を着せたくなる気持ちはわかりますが、実際には加害者の方も悪意があってやってしまうというケースは稀です。
加害者を悪者にするだけでは結局根本問題を解決することはできないと思うのです。
それよりも、加害者にパワハラをさせてしまっている根本の原因を全体をひとつのシステムとして捉えて考えます。
・被害者は加害者からパワハラを受けた
・加害者は仕事熱心であり、会社の発展を願っている
・加害者は他の社員からもぶっきらぼうな物言いなどで反感を買っていた
・加害者は確かにぶっきらぼうな面もあるが、ふたりで話してみるといい人だという意見もある
・加害者自身も自分が周囲からのけ者にされているという感覚を持っていた
・昔はみんなで旅行に行ったり、食事をしたりする機会があったが、コロナが流行ってから社内でのレクリエーションができなくなったという意見があった
・あと少し突っ込んで確認できていれば誤解を生まずに済んだような問題や行き違いが数多く発生していた
これらひとつひとつを見ればそれぞれが別々の問題のように見えますが、全体をひとつのシステムとして捉えることでバラバラの問題に個別に対処するのではなく、それらがなにかひとつの要因によって引き起こされているのではないかという洞察を行うことが可能になります。
今回の場合はある方法を使ってコミュニケーションを増やすという結論になりました。
TOCのいいところは、人を悪者にせず、物理的制約や市場制約、方針制約に着目して変えられるものを変えることで問題を解決できるところです。
誰かに考え方を変えてもらうというのは至難の業ですが、そんなことせずにただコミュニケーションを増やすだけであれば、誰も反対はしないはずです。
ニューヨーク地下鉄の割れ窓理論とよく似ていて、直接関係ないような要素に働きかけることによって、それが結果的に問題を解決することに繋がっていきます。
長渕剛の「しあわせになろうよ」が持つ力
期間工時代の話。
この歌を初めて聞いたのは年末の仕事納めの日だったと思うが、どこでだったかは定かではない。
工場の生協か?それとも食堂か?往きの車のラジオだったかもしれない。
「出会った頃のふたりにもう一度戻ってみよう」
取り立てて長渕剛のファンというわけでもなかった私だが、この一節が妙に耳に焼き付いて離れなかった。
関係の冷めた恋人に向けて書かれた歌だということは分かったが、その時の私には職場のある友人のことが気にかかっていた。
仮にO君としておこう。
O君とは期間工の同期で歳も近く、同じ組に半年前に配属されたため、一緒に食堂へ行ったりして慣れない仕事の愚痴を言い合う感じで最初の頃は仲が良かった。
ところがしばらくして些細なことで仲違いをして、そのまま何カ月も口を聞かない関係になってしまった。
組の人数は10人程しかいなかったし、同年代の期間工はその半分もいなかったため、毎日顔を合わせて同じタイミングで休憩したりしているのにどちらからも話しかけないというのはかなり不自然なことだった。それでもふたりは意地を張り続けた。
そんな彼が1月いっぱいで退職するということを班長から聞いた。
何かあったのだろうか? 聞いてみたい気もするが、自分の方から話しかけるのは気が引ける。
仕事納めが終われば十日ほどの冬休みとなる。その間、彼と会うことはあるまい。
私も前日に正社員登用試験の不合格を通知され、これからどうするか岐路に立たされていた。
そんなタイミングでこの歌を聞いた。
年末最終日は残業なしの定時退社だ。折しもクリスマスイブ。
すでに薄暗い中、労働組合が正門前でしるこやおでんを振舞ってくれている。
作業を終えて帰るタイミングでどちらから声を掛けたのだったか?
彼の方からであれば覚えていると思うので、私の方からだったかもしれない。
どちらからともなく「お疲れ様」と声を掛けたような気がする。
そういうきっかけで久しぶりに彼と一緒に帰ることになった。
仲直りすると互いに話したいことが溢れ出して、O君のアパートへ遊びに行くことになった。
そこで彼から言われた一言がきっかけで社労士受験を決意したのだから、不思議といえば不思議である。
あの歌を聞いていなかったら、彼と仲直りすることもなかったかもしれない。
そして社労士受験を志すことも・・・。
歌のもつ力というのは、そういうものなのかもしれない。
運命神ヤーンと出会いの法則について
MGとの出会いのきっかけは税理士のM先生だった。M先生が米津先生の一日MG研修を紹介してくださった。
そして、M先生と出会ったきっかけはプルデンシャル生命のSさんにアライアンスパートナーになれる税理士の紹介をお願いしたことだった。
つまり私がMGと出会ったのは決してMGを目的として行動したからではなく(そもそもMGを知らなかった)、税理士を探すという全く別の目的による行動がきっかけだった。
そのようにして出会ったMGとこんなに長く深く関わることになろうとは、夢にも思わなかった。
人との出会いが人生を変える。
まさにその通り。
改めて思うのは、自分の歴史を振り返ってみると、大きな影響を受ける出会いも、そうでない出会いも、その時は例外なく「今」であり、その出会いが自分の人生にとってどういうものであるかはその時はわからないという事だ。
そういう意味では、「今」と「あの時」とでは風景が違って見えるのだろう。
栗本薫の小説「グインサーガ」には、運命の神ヤーンという存在が描かれている。
確かに人生を考える時、ヤーンの存在を思わざるを得ない。そのくらい、出会いはコントロールできない。
振り返ってみると、その時はそれほど大きな事だと思わずに行動した事が、とてつもなく大きな出会いにつながって、その出会いがその後の自分の人生を大きく変えることになったりする。
実に不思議だ。
そしてひとつの出会いは別の出会いへと繋がっている。
今こうしている時も、新たな出会いのきっかけが目の前を通り過ぎようとしているのかもしれない。
だとしたら、どうすればいいか?
まず出会いを増やす事は簡単ではない。
時間は限られているから。
ただし出会いの質を上げる事はできるかもしれない。
同じグループとばかり交わらずに、新しい場に冒険しにゆく。
全く見ず知らずの場に飛び込むのもアリだが、紹介やリンクを辿るのがいいと思う。
私とMGとの出会いを振り返ってみると、ヤーンが何を好むのかが分かる。
ヤーンはとにかく動いている人間が好きなのだ。
その時の自分が、なんとかして現状を変えようとして、動いた結果、直接その時に目的としていた事ではなく、全く別の、ただし物凄い価値のあるご縁に繋げてくれる。
動かなかったら、ご縁は生まれない。
例えばMGに行く時、近くのMGばかりでなく、少しエリアを離れたところに行くのがいいと思う。
遠すぎるのもコストがかかる。
近すぎず、遠すぎず。
距離的にも、人的にも。
何も考えずにMGばかりやるのも違うと思う。
MG以外の場にも足を運んだり、ちゃんとひとつひとつを大事に決める。
ヤーンはなぜか、そういう時に良い出会いをくれる。
米津先生のMGに行った時も、かなり悩んで決めた。
M先生から紹介されたのは秋だったが、実際に参加したのは翌年の6月だった。
その間にお客様の倒産というきっかけがあった。
何もかも、意図ではなく、偶然であった。
お金もなかったので、必死だった。簡単には決められなかった。
それがまた良かった。
その時の悩みや苦しみが、きっと大切なご縁につながる。ヤーンとはそういうものだと思う。
パワハラ対応で感じたこと
お客様からのご依頼で、パワハラ対応をさせて頂きました。
関係者全員のお話を直接一対一で聞かせて頂き、問題のありかを探り、私自身の意見もお伝えさせて頂きました。当事者の方は、案外と素直に受け止めて頂けたように思います。
今回、大まかな問題点については事前にお聞きしていましたが、落としどころをどこに持っていくか、誰を何と言って説得するか、といった目算は何もありませんでした。
台本も無し、想定問答も無しでした。
それでも大きな不安なく、このお仕事を受けることができたのは、長年お付き合い頂いているお客様であることと、経営者の方を深く信頼していたからでした。
どう転んでも悪い方へは行かないであろうという予感があったのです。
そして任せて頂けることに大きなやりがいを感じました。
面談にあたっては、特に構えることなく、素直に誠実にお聞きするという自然な態度でした。人は善なる存在であるというY理論の考え方はMGを通して身に付いた思想ですが、こういった時にも変わることはありません。
ご挨拶、雑談から始まって、お仕事の状況などをお聞きして、打ち解けたあたりで問題について話して頂くという流れに自然になってゆきました。
どの方も真摯に仕事に取り組んでおられて、面談の中で感情的な場面は一度もありませんでした。
ただし、パワハラ問題に関しては当事者の方以外が一致した見解を持っておられました。
当事者の方も、自身でコミュニケーションが苦手だと認識しておられました。
当事者の方に悪気はなく、周囲の方もそれをある程度理解しておられました。
それでも被害を受けた方は大きなダメージを負っていました。
また当事者の方も、組織内で疎外感を感じておられました。
パワハラは多くの場合、職責上上位にある者が加害者となります。
職場におけるパワー(影響力)は上位から下位に対して強く働きやすいからです。
当事者の方は上位で、被害者の方は下位の方でした。
実は私も過去パワハラを受けたことがありました。
職場での力関係は今回と同じでした。
この場合、下位の者が直接上位の者を正すというのは不可能です。そんなことをしたら職場秩序への反逆行為と見なされてしまう可能性があるからです。問題を解決するには周囲の人の協力が必要ですが、それは簡単な事ではありません。
中立の第三者としては、やはり上位の方に配慮をお願いすることが必要だと感じました。
幸いなことに当事者の方も、自身がコミュニケーションが苦手なせいで疎外感を感じており、問題意識を持っておられました。パワハラが起きた原因も、職人的な職場風土のせいで、上下の意思疎通が効かなくなっていることが根本原因だというのが私の見解でした。様々な問題の根っこにある根本原因は、コミュニケーション不全であると。それを難しくしてしまっているのが、当事者の方の苦手意識でした。
私は当事者の方のあるべき姿について、丁寧に説明することにしました。
上位の者が変わらなければ下からは変えられないということ。
職責上位の方が黙っているだけで、当人が普通にしていると思っていても、周囲からはむしろ不機嫌に映ることもあるということ。
職場でコミュニケーションを生みやすい雰囲気を作るためには上位の者からのアクションが重要であること。
そして何よりも、職責上位の者こそが、主体的に会社全体にとって何が必要かを考えるべき立場にあるということをお伝えさせて頂きました。
当事者の方はしきりと「そういうことが苦手だ」と仰りましたが、「これが職場の大問題なので本気で努力してほしい」旨をお伝えした所、最後には理解して頂けたようでした。
今回のパワハラは、仕事のやり方について見解の相違があったことが原因でしたが、それについて話し合いで結論を出すことができず、問題が放置されている状態でした。これは品質不全にも繋がりかねない問題でした。技術的な方針をどう決めるかについて、組織として責任ある判断ができていないとすれば、それは将来重大な問題を引き起こす可能性があるという危惧をお伝えしたところ、技術者であるその方にはコミュニケーションの重要性について理解しやすかったようでした。そうなってしまったら、たかが人間関係などとは言っていられなくなると気付かれたのでしょう。
ご本人に悪意はなく、真剣に会社の発展を願って勤務している方なのですから、会社にとって何が本当に大切かが理解できれば行動もきっと変えて頂けることと信じています。
また、それとは別に委員会を作ることも提案させて頂きました。
上位にある者が常に正しい判断ができるとも限りません。上位の者が間違った判断をした時に、それを正す仕組みが必要です。ひとりの判断よりも、複数の委員の判断の方が、間違える可能性は低いであろうという考え方です。人間である以上、誰だって間違うことはある。問題は組織がどうやってそれを防ぐか?そういう仕組みが必要だと思います。
2022年4月から法制化されたパワハラ防止規程についても、改めて周知して頂けるようにお伝えしました。
会社全体として、パワハラを防ごうとする基本姿勢を示すことが周囲の不作為を生まないために最も重要なことだからです。相談窓口の設置や通報者の保護なども規定する必要があります。
結局のところ、社労士には何の神通力もありません。
労働法に精通し、心理学、歴史、哲学などを日々学んでおりますが、同じ心を持ったひとりの人間に過ぎません。
努力はしておりますが、必ず正しい判断ができるとは限りません。
そもそも正解が存在しない問題も職場にはたくさんあります。
今回も私が申し上げた意見が全てではなかったと思います。
また、現実はそう簡単に変わらないかもしれません。
それでも、面談を終えた時、皆さんの表情が少しだけ明るくなっていたような気がしました。
人が勇気を持つきっかけができたのであれば、とても幸いに思います。
お酒をやめましたが飲み会の誘いは大歓迎です。
4月の終わりにコロナをやって、5月に歯周病に罹り、思うところあってお酒をやめました。
今後一生二度と、一滴も飲まないことに決めました。
元々、お酒は強くなくて、ビール一杯で真っ赤になってしまう体質だったのですが、雰囲気に流されて飲んでしまい、後で気持ち悪くなったりして後悔することが度々ありました。
お酒をやめた理由は、わずか一杯か二杯飲む楽しさよりも、迷いと後悔の苦痛の方が大きいと判断したためです。
実際にはこんな誓いを立てなくても、泊りの時とかは飲んでしまっても大きな問題は無いと思っていたのですが、それだとつい泊りじゃない時にも手が出てしまいます。そして後悔する。
タバコを止める時にも同じようなことを思いました。
それに、お酒を飲まなければ宴会にも車で行けますし、行きや帰りに誰かを送って行ってあげることもできます。自分にとってはそのくらいは飲むことに比べれば苦痛でもなんでもないことです。損したとも思わない。便利だし、その方が楽しい。
だからといってお酒を飲む人が嫌いとか、そういうことは一切ありません。
飲む人に交じって宴会に参加し、大いに語り合うことは前から好きでした。
ただし、「少しくらい付き合えよ」というお誘いには乗るわけにはいかなくなりました。
これまでは、そういう時に迷いが生じていたりしたのですが、飲まないと決めてあるともう迷わなくなります。
よく考えてみると、お酒を飲む人が飲まない人に付き合ってお酒を我慢するところは見たことがありませんから、お互いに自由を尊重するだけのことです。
これまでも、無理強いされたわけではなく、自分の意思で飲んでいたのですから、自分の問題です。
誘惑や同調圧力に負けない私なりの工夫が飲まないという意思決定なのです。
飲まないことにしたもうひとつの理由は、最近身の回りで若くしてお亡くなりになる方が多いことです。
私も50代になり、残りの人生をどう生きるべきか、そういう時に考えます。
少なくとも健康のためには体質に合わないお酒は飲まないに越したことは無いでしょう。
それだけでなく、自分が後悔するような行動は少しでも減らしたい。
私は酔うと2時間くらい眠くなってしまって何もできなくなるのですが、そんな時間があったらもっとたくさんの本を読みたいです。
私にとって飲む人生と飲まない人生と、死ぬときになって後悔しないのは、飲まない人生だとようやく気付いたため、お酒をやめることに決めました。
1200期達成おめでとうございます!
2021年12月のゴルゴMGにて、大定さんが1200期を達成されました。
おめでとうございます。
色紙に描いてあるMG盤のイラストは私の長女が描いてくれました。上手いでしょ(笑)
大定さんが初めてゴルゴMGに来て頂いたのは2013年11月でした。
これがその時の写真です。
それから数々の名勝負を繰り広げられてきました。
2018年に岐阜で開催されたCFMGでは私もプレイヤーとして大定さんとガチンコ勝負させて頂きました。
この時は運よく私が最優秀経営者賞を頂くことができましたが、何度コテンパンにやられたことか・・・。
1200期ということは、2日間コースで見積もると240回も参加されているということになります。
(ちなみに私は現在500期。これでも随分変態ですねー笑)
今週もまたどこかのMG会場で暴れていらっしゃることと存じますが、これからも末永くMGを愛して頂けたら幸いです。
言葉に力を与えるもの
昔々、私が就職活動をした時の話。
結果的にたった一社から内定を得られたのだが、その時の決め手になったであろう一言を今でも覚えている。
その時は最終面接だった。それなりに好感触で話が進んでいたと思うのだが、いまひとつ決め手に欠ける感じもあった。
だが、その一言が出た後はガラリと雰囲気が変わって明らかに話が収束していった記憶がある。つまり相手が納得した瞬間だった。
私はさして意識高い系の学生ではなく、当時のバブル景気の中、内定ぐらいは適当にやってもいくつかは取れると多寡をくくって大した準備もせずに4年生になってしまっていた。そして、いくつかの会社を試しに受けてみるもなかなかうまく行かないことに気付いてからは慌ててマスコミ業界に的を絞って(興味のない業界では却って受からないという判断だった)本腰を入れて活動をやり直すも、時すでに遅く、大半の大手が採用を終える時期になってもひとつも内定が無い状態に陥っていた。
そんな中、最後に受けた出版社でのことだった。内定状況を聞かれて私は正直にどこも受かっていないと答えた。他に受けている会社についても聞かれ、それも無いと答えた。
「もしもうちを採用にならなかったらどうするつもりですか?」
実はこの質問については事前に考え尽くしていた。聞かれなくてもそういう状況であれば、考えるであろうことだ。
正直、就職活動に関しては出遅れた感があった。友人の中には就職活動をやり直すために留年するという者もいた。確かに大学受験に浪人があるのだから、就職にも再チャレンジがあってもいいと思う。何しろ、新卒での採用と中途採用や既卒採用とでは大きなハンデがあった時代だ。大手などは新卒以外採用しないという会社も多かった。そういった状況を鑑みれば、就職浪人という選択も不合理とは言えなかった。私はたまたま現役で大学に入っていたので、一年くらい浪人しても年齢的に不利になるほどではなかったと思う。
ただ、私はそのようなゆがんだ就職戦線に踊らされて時間を無駄にすることに違和感を感じていた。就職活動に失敗したのは自分の責任だし、ひとり暮らしまでさせてもらってわざわざ留年するのは親に対しても申し訳ないと思うところがあった。だからたとえ就職で不利になるとしても、余計な学費の掛からない卒業という選択をしようと思っていた。
もちろん卒業後は親からの援助はストップし、自分でアルバイトでも何でもやって生計を立てつつ、就職するなりの道を探ろうと思っていた。面接で問われた時に、そこまで細かい説明はしなかったが、自分の中では答えの出ている結論を淡々と述べることができた。
「はい。その時は仕方ないので、アルバイトでもやりながらどこか採用してくれる会社を探そうと思います」
こんな感じだったと思う。
面接を終えて会場を後にする時、私は相手と対等に話ができたことに手ごたえを感じていた。正直、それまでの就職活動では面接時に何と答えるか? 何と言うか? そればかりを考えていた。つまり言葉のレベルでしか考えていなかった。まるで面接を正解のある筆記試験のように考えていた。問答における正解さえ見つけられれば採用されるかのように。
でも、この時は違った。私はこの年の就職活動でこの会社を最後にするつもりでいた。それまでは受かりたい、採用されたいと思っていたが、この時は開き直っていた。そう簡単に受からないこともさすがに分かったし、自分程度の浅知恵で小細工をしても仕方が無い、相手に気に入られなければ終わりだと悟っていた。この状態を「覚悟」というのかもしれない。
今となっては自分が面接をする側なのでわかるが、言葉はそれ単体では力を持たない。氷の上でタイヤが空回りしているようなものだ。本人の中で考え尽くして出てきた言葉と、面接対策で創作した言葉とではグリップ力が全然違う。
zoomミーティングに対応いたします。
当事務所では様々な連絡方法を用いてお客様からのご相談を承っております。
メール、FAX、電話、SNS(LINEやチャットワークなど)に加えて最近ではzoomを利用される方が増えて参りました。
もちろん、これまで通り対面でのご相談も行っておりますが、遠方の方や移動時間を節約したい方、PC操作に慣れていて資料の参照がスムーズに行えるといった理由からzoomを活用されるケースがございます。
開業当初より、電子申請の導入やペーパーレス化など、テクノロジーの導入にはいち早く対応を心がけております。
既にzoomを経験済みの方はもちろん、やったことがないから一度やってみたいという方も含め、お気軽にzoom面談にチャレンジしてみていただければ幸いに存じます。
社長、夜ぐっすり眠れてますか?
単純な事ですが経営者の幸福度を測る上で大切なことです。
「幸福な経営者を育てること」これは私の重要なミッションです。
では、そもそも経営者の幸福とは一体何でしょうか?
お金をたくさん稼ぐこと?
お金があったら必ずしも幸福かというと、そうとは限りませんよね。
人の十倍お金があったら、10人前のご飯が食べられるか?
ギャル曽根じゃあるまいし(笑)
私は経営者の幸福度は「夜ぐっすり眠れているかどうか」で分かると思っています。
人は不安や心配事があると寝る時も考え事をしてしまい、安眠することができなくなります。
経営者には夢がありますが、一方でリスクとも背中合わせです。
将来の資金繰りや売上の心配や、社員が辞めてしまう心配など、悩みは尽きません。
経営という不安定性に足を踏みだしたその日から、雇われの身の安眠とはオサラバしなくてはなりません(雇われの身にも悩みはあるでしょうが)。
では、経営者が夜ぐっすり眠れるようになるためにはどうすればいいのでしょうか?
それはリスクを知ることです。将来、何が起きるかわからないから不安なのです。
どのくらいの確率で、どのくらいの影響度のリスクが発生するかが分かっていれば、適切な対策を講じることができます(コロナ対策もこれと同じですね)。
リスクへの対処ができていない経営者は安眠できません。
マネジメントゲームで学ぶ大きな目的のひとつがリスクへの対処です。リスクマネジメント。
また、睡眠時間を十分に取れていない経営者も多いのではないでしょうか?
人を雇ったはいいけれど、社員に仕事を任せるには仕組みが必要です。マニュアルや手順書、チェックリストにはじまり、ゆくゆくは価値観の共有までしていかなければ、結局は社長は時間に余裕を持つことができません。
睡眠時間を削ってまで、社長が働かなければならないのは、人に頼むよりも自分でやった方が早いという残念な状況にある証拠です。そこを抜け出すためには、睡眠時間を更に削ってマニュアル作りに励むしかありません。
こんな本が役に立つでしょう。
何を隠そう、この私自身も最初に人を雇った時には同じ思いをしたものです。
様々な失敗と努力を経て、ようやく経営者として時間に余裕を持てると思えた時の思い出があります。その思い出は、大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」です。録画しておいた大河ドラマを深夜に家族が寝静まった後で見ることができるようになった時、初めて私は人心地つくことができたのでした。このドラマが放映されていたのは2011年ですので、2007年に起業してから4年目になってようやく落ち着くことができたことになります。
お上はある日突然動く!
公正取引委員会がコンビニフランチャイズ本部と加盟店との間の力関係(24時間営業の強要など)に独占禁止法の疑いがあるとの判断を示しました。
これにより、フランチャイズ本部は大揺れになったことでしょう。
これまでは本部と加盟店との間の力関係は明らかで、加盟店は本部の言う事に逆らえず、苦しい経営を強いられていた店舗もあったようですが、その関係にメスが入りました。
これって、労使関係と似てますね。
契約自由の原則に対して、国家が介入してきたわけです。
もちろんそれは、独占企業が自由に振舞ってしまうと社会全体にとって悪影響があるという観点から修正が加えられているわけですが、企業にとっては一大事ですね。
このようにお上(役所、行政)というのは、ある日突然動きます。
「これまでは何も言わなかったじゃないか!」などと文句を言ってもはじまりません。
企業の側は、こうしたお上の動きを敏感に嗅ぎ取って先手を打っておかないと、ある日大変なことになります。
消費者金融が2010年の改正貸金業法施行により過払い金返還を迫られたのは記憶に新しい事ですね。
世の中のルールは時代と共に変わる!
お上は黙っているフリをしていても、ある日突然動く!
勝手に変えられたルールであっても、企業は従わなければならない!
例えば、雇用調整助成金。コロナで世間が騒いでいる間は、マスコミに叩かれるのを恐れているのか?あまり調査とかせずにバンバン助成金を出してるように見えますが、これがもしコロナが終息したら何が始まると思いますか?
当然、これまで支給した助成金に対して不正がなかったかどうかを調べに来ると思われます。
かつてのリーマンショックの時もそうでした。何年もたって、会社側も忘れた頃に調査が入るのです。
調査では何をどこまで調べられるかはわかりませんが、会社として不正を疑われないための予防策を講じておくことはある程度できると思います。例えば長期間休業している社員との連絡の記録を残しておいたり、休業日報を付けさせることです。メールやSNSでやり取りした内容を記録しておけば、その時どんな状況だったか振り返ることができます。
何年も経ってしまえば人間の記憶などは当てになりませんし、当の本人が退職してしまうこともあり得ますので、その時どうだったか?ということを記録しておくことは、思わぬ役に立つかもしれません。逆に不正をしている場合には、そうした記録を調べられる可能性もあると思われます。
お上というものは、そういう勝手な存在だと思って注意を怠らないことが肝心です。
通信手段の今昔(出版社時代の思い出)
ビジネスシーンにおける通信手段は手紙→電話→FAX→e-mail→SNSと変化を遂げてきました。最近はこれに加えてzoomなどのテレビ電話も新型コロナウイルスの影響もあって普及してきました。
通信手段ということで思い出すのは、私が最初に就職した出版業界のことです。90年代前半の当時、既にFAXは普及していましたがそれでも「原稿取り」という仕事が編集者の業務の中に残っていました。
当時の先輩からは作家や漫画家さんの自宅へ、わざわざ電車やバスを乗り継いで原稿を取りに行く作業がいかに大切かを教えられたものでした。
(当時の作家はそういう事情もあってか、なぜか東京近郊に住んでいる方がほとんどでした)確かにそうやって時間をかけて原稿を頂きに行くことで、相手も「わざわざ来てくれた」と感謝してくれて、編集者を大事にしてくれたり、信頼関係が構築できたりしたことがありました。
ある漫画家さんの場合、私が原稿を取りに行った時にまだ完成していなかったため、お部屋で待たせて頂いたことがありました。その日、たまたま私が徹夜明けであることが話に出たせいか、その方はわざわざ布団を敷いてくださり「完成するまでお休みしててください」と私を寝かせてくれたのです。サービス残業が当たり前の会社でしたが、勤務時間中に2時間も熟睡してしまったことは会社には内緒でした(笑)。
また別のライターさんは、業界でも筆が遅いことで有名な方で、それでもとても良い記事を書くため読者からは絶大な人気のある方でした。ある時、私の担当していた雑誌で初めてその方に記事をお願いすることになったのですが、最初は他の人が担当してました。ところが前任者は約束を一切守ってくれないそのライターさんにあきれてしまい、編集長の命令で私が後を引き継ぐことになったのでした。担当者が私に代わっても、その方は当然のように締め切りをブッチし、電話にも出てくれません(当時はようやく携帯電話が普及し始めた頃でした)。一体何を考えているのかと、途方に暮れたのは言うまでもありません。
雑誌の発行期日は予め決められており、どんなにギリギリまで頑張ったとしても、物理的に発行期日に間に合わなければ掲載することはできなくなります。その場合は代替原稿などを用意して誌面を埋めるわけですが、当然のことながらクオリティは低下し、読者の不興を買うこととなります。雑誌を販売して利益を上げるのが出版社ですので、そうした事態が経営に与える影響は甚大です。
普通なら、そんな信用できない人に依頼しなければいいということになるのですが、そう一筋縄ではいかない事情がありました。やはりそのライターさんは絶大な人気を持つだけあって、いい記事を書くのです。締め切りとの戦いの中でギリギリまで自分を追い込んで書くからこそ、良いものが書ける。クリエイターとは、そういうものなのでしょう。だから、編集長の命令はなんとかして原稿を貰ってこい!というものでした。
編集者とは名ばかりの当時20代の駆け出し小僧だった私は、そこで考えました。この人は普通のやり方では原稿を書いてくれないだろう。一体どうすれば原稿を書いてもらえるだろうか?
締め切りの迫ったいよいよという日、私は家に帰るのを諦めて池袋にあったライターさんの事務所(アパートの一室)の前で待ち伏せをすることにしました。「こんな芝居じみた効率の悪い事、なんだかドラマみたいだなあ」と思っていたのですが、一時間おきに公衆電話からライターさんの携帯に電話を掛けつつ、待つこと数時間、真夜中になってその方が帰ってきたのです。
用件は百も承知です。約束を破られ続けた私はその時怒ってもよかったのですが、あえてそうせず「何とか原稿を書いて頂けないでしょうか?」と逆に頭を下げてお願いしました。異次元の考え方の持ち主に対しては、自分も常識を捨ててかかる必要があると考えたのです。
するとその方は初めて申し訳なさそうな顔をして「必ず明日の朝までに書くから」と言ってくれたのでした。もちろんそれまでも、電話で同じ趣旨のことを言われて、当たり前のようにそれをブッチされてきていたので、今回も空手形かな?と警戒しないわけではありませんでしたが、なぜか私もその時ばかりはライターさんを信じられるような気がしたのでした。
そして翌朝、私はその出版社で初めてその方から原稿を頂いた編集者になったのでした。
見ず知らずの小僧が人気者のライターさんから認められるまでには、そのような出来事がありました。最初は、その方のことを「何てひどい人なんだろう」と思っていたのですが、そのようにして打ち解けた後はその方がとても人間味あふれる熱いハートを持った人だということがわかりました。才能があり、やる気があるからこそ、逆に締め切りが守れず約束をブッチしてしまう。見ようによってはただの困った人なのですが、信じて待つ人の存在だけがこのライターさんを突き動かす鍵だったのでした。信頼を得た後も相変わらず締め切りを守ってはくれませんでしたが、相手との間に一本の糸ができたのを感じました。
当時は手書きの原稿用紙を直接手渡されたものでしたが、出版社も今ではメールやラインで原稿を受け取っていることでしょう。通信手段が便利になれば、言葉そのものは簡単に伝わりますが、人の思いは逆に伝わりにくくなっているような気がします。
業務にLINEを活用しています
最近、GOLGO社労士事務所では顧問先のお客様との間でLINEを活用することが増えて参りました。
以前は当事務所ではe-mailが連絡手段の主体だったのですが、数年前から一部のお客様のご要望によりLINEやチャットワークの利用を開始しました。
e-mailとLINE、使ってみるまではそれほどの差を意識してはいなかったのですが、実際にはこれはあった方が便利だという結論に達しました。e-mailはその名の如く手紙に近く、一通一通が完結していて、それぞれのメールを開かないと中身が見えません。
ところが、LINEはどちらかというと文字を使った電話に近く、相手とのやり取りを時系列(タイムライン)で俯瞰することが可能です。つまりLINEの方が一覧性があるのです。
その代わり、ファイルのやり取りなどはLINE上だと一定の時間で消えてしまうため、e-mailとの使い分けをしています。
簿記3級を試験勉強一日でクリアする方法
別に自慢話がしたいわけじゃない。
受かったのはたかが3級だし(でも、実際にやってみると簡単ではなかった)。
ただ、この経験から気づいたことをシェアしたいと思ったから。
知立駅前の古ぼけたビルにある某専門学校の門を叩いたのは3カ月前。商業高校の学生がやっている勉強を自分もやってみようと思った。
簿記の授業は面白かった。いや、正確に言えば授業が面白かったというよりも、簿記そのものが面白かった。商売のお金の流れを、仕組みに従って処理していくと利益と資産が計算できる。その仕組みそのものの数字の美しさを感じることができるのが簿記だ。
田舎の寂れた専門学校だったので、生徒は多い時でも3人。先生と私のマンツーマンの時も何回かあった。15回の授業だが、MG1回分程度の金額で受講できる。
授業の中で少しでも引っかかる時はその場ですぐ質問した。試験の合格が目的ではなく、純粋に簿記を理解することを目的としていたので、丸暗記を一切拒否して論理的にすべての内容を理解しようとした。
MGで決算書の全体像はつかんでいたが、複式簿記の仕組みに慣れる必要があった。
他の受講者と比べるとMGの素地の優位性は抜群で、地球儀を見たことが無い人が地理を勉強するのと、地球全体を知っていてしかもそこを実際に歩いた経験もある自分とでは理解のスピードは比べ物にならない。
だから、授業の理解度は100%だったと思う。
でも、分かるとできるとの間には意外と大きな差がある。授業を理解できたからといって、試験をパスできるとは限らない。
予備校側もそれは分かっているから、通常の授業カリキュラムの後で1カ月間の答案練習カリキュラムを用意していた。
私はさすがにそこまではお付き合いするつもりもなく、受からなければまた次に受ければいいと考えていた。
ただし合格するためには、試験前には最低でも何回分かの過去問にしっかり取り組み、問題への対応力を磨いておく必要があると感じていた。
ところが、仕事やプライベートで様々なトラブルやビジネスチャンスがあって、試験の直前までほとんどまとまった時間を確保できなかった。
【試験前日に考えたこと】
当初考えていた分の5分の1程度の時間(約1日)しか確保できないことになってしまった。
簿記3級は自分の本業(社労士)とは関係なく、教養の一環としてやり始めたことだった。だから、こうなってしまったことは悔やまなかった。仕事をおろそかにしてまで簿記の勉強の時間を作るわけにはいかなかった。
でも、明日は試験だ。合格するには70点以上必要だ。
授業は理解していたので、ちゃんと試験勉強をすれば合格できる自信はあった。でも、その試験勉強が全然できていない。正直、苦しい状況だった。
こういう時に、どういう時間の使い方をするかは人それぞれだと思う。
・すぐに問題に取り掛かり、限られた時間のうちできるだけ多くの時間を勉強に充てる。
・勉強に取り掛かる前に、限られた時間のベストな使い方を考える。
時間がないという焦りはあったが、私はすでに半分諦めていたので、開き直って後者のやり方で行くことにした。普通は前者のやり方の方がたくさん勉強ができると思われるが、私は過去に似たような状況になった時にそのやり方でうまくいったことがなかった気がしたのだ。勉強の量より質を重視した。
だから、時間がない時こそ落ち着こうと思った。
そして、その日一日を考えた時に、量的には大した勉強はできないと悟った。
それでも受ける以上は、ギリギリまで可能性に掛けたいと思った。
結局、やれたのはたった一回分の過去問だけだった。しかも、解けない問題も所々あった。
試験の直前なのに、問題を解いていて間違えたり分からなかったりすると本当に焦る。
しまった、また間違えてしまった・・・明日の午前中には試験だというのに。
私はこの焦りこそが最大の敵だと思う。
MGの決算をできなかった初心者の頃は、常に焦っていた。人間は焦るとミスをする。
試験の前日、過去問を解きながら、どうすれば焦らないでいられるかを考えた。
もちろん、王道はたくさん勉強して準備することだ。
でも、今の自分にはその時間はない。
その中でできることはないか?
12年前に受けた社労士試験を思い出す。
まず、大事なのは時間配分だ。
簿記3級は全部で5問出る。時間は2時間。
第1問が仕訳の問題(20点)
第2問が10点
第3問が試算表の作成30点。
第4問が10点
第5問が決算の問題30点。
第3問と第5問は絶対に落とせない。そして第1問は仕訳なので比較的簡単だ。
第2問と第4問は10点しか配点されてない割に、過去問では結構難しい問題が出ていて、苦戦した。
簡単な問題も難問も 1点は1点。満点を取ろうとするなら難問を解かなければならないが、70点で合格できるのだから難問に引っかかって時間配分をミスしたら終わりだ。
限られた時間は試算表の作成と決算の問題に充てて勉強した。量的には不足だが、前日に集中してやったことで、頭は少し慣れたと思った。
【当日】
試験会場へは早めに向かった。とにかく焦る要素を作りたくないから。
試験会場へは勉強のネタは一切持って行かなかった。早めに着いて時間があるからといって、そこで勉強したりしたら解けない問題に出くわして余計に焦ることになるからだ。
一発勝負の集中力に賭けることにした。
シャープペンはMGでいつも使っている9ミリのものを2本用意していった。これで故障しても焦らずに済む。
自動販売機でコーヒーを買って体調を整えて待つ。
幸い席は一番後ろだった。自分の後ろに人が居ない方が落ち着くのでラッキーだ。
試験開始。
第1問は難しくなかった。これで20点確保。
第2問は総勘定元帳の穴埋め問題。面倒臭そうだったのでとりあえずパス。
第3問の試算表に取り掛かる。途中まで合計試算表と残高試算表を間違えていたが、途中で気づいてなんとかこなす。パーフェクトではないが、ほぼできた。
第4問は商品有高帳の問題。試験勉強でやってない分野だ。当然パス。
第5問の決算の問題。残り1時間を切った。順調に解いていったが、最後の借方貸方が一致しない。
この時点で残り10分。とりあえず第2問と第4問の中で取れるところだけでも拾う作戦に切り替える。
第3問と第5問がパーフェクトなら、第1問と合わせて80点で合格だが、借方貸方が一致しないということはどこかで間違っているということ。その分を第2問と第4問の部分点で補わなければならない。
時間いっぱいまで頭をフル回転させて解ける部分を取りに行った。
勉強不足な状態ではあったが、取れる所を最大限狙うことはできたと思った。善戦した感があった。
一週間後、電話で合否を問い合わせると、78点で合格とのことだった。
受講開始から試験まで約3カ月、振り返ってみて思うのは、
・基礎の理解は一番重要(初めて見る問題でもある程度点が拾えたのは基礎があったからだと思う)
・集中できない状況で無理をして勉強するよりも、集中できる状況を作ることに努力した方が良い
・準備に時間が確保できない時でも、過去の似たような経験を元にベストな対応の仕方を考えることができる(社労士試験の経験が生きた)
・勉強そのものよりも、勉強のやり方を考えることに頭を使うことが大事
人生戦略は3つの資本で定義できる!
以前に紹介させていただいた「お金2.0」と併せて読みたい本です。
現代の世の中で、お金やら仕事やらSNSやらで頭の中がグッチャグチャにこんがらがった人に、まさにうってつけの処方箋となる本でしょう。
理論そのものはごくごくシンプルです。
人生で幸福になるための3つの要素は、「つながり(社会資本)」、「能力(人的資本)」、「お金(金融資産)」。
金融資産は自由を得るために必要。
人的資本は自己実現のために必要。
社会資本は幸福を得るために必要。
こう書くと社会資本だけで幸福になれると誤解を生むかもしれませんが、必要条件と十分条件は違うのでそうではありません。
この本では、この3つの要素を使って、様々な人生の幸福度を見事に説明しきってます。
この本を読めば、あなたが感じているぼんやりとした不安の中身をはっきりと言語化できるでしょう。
そして、自分がどうなりたいのかをより明確に定義することができるようになるでしょう。
余談ですが、この本の中には筆者が過去に出版した他の本の中で書かれている理論や事例がたくさん出てきます。いわゆる二番煎じなのですが、この本で初めてこの筆者の著作を読んだ私にとってはメリットだらけでした。著者自身が断わってますが、二番煎じではあるものの、これ以上良い例が見当たらないので再度掲載すると。どの事例も持論も、見事なまでにロジカルに構成されていて、ツッコミ所は皆無で説得力抜群でした。これはおそらく、この時点での筆者の持論結論をこの本で言い切ろうとしているからで、そのために他の著作からの引用も辞さずに言いたいことを出し切った感がありました。お買い得感満点です(笑)。
後半では特にサラリーマンの生き方と関連の深い日本の労働問題の本質に触れていて、しかもその洞察が労務の専門家である私の目から見てもズバ抜けて深く鋭い! 作者はいったいどんな人なんだろうと思って調べてみたら、元宝島社の編集者で現在は経済小説作家とのことだったが、労働問題専門の学者なんか足元にも及ばない。肩書きはフリーの小説家なのに、大学お抱えの社会学者なんかよりずっと説得力のある論文だと思う。ネット社会においては、情報へのアクセスという点では大学教授のアドバンテージはほとんどないということが、こうした本が労働問題の素人によって書かれているということから伺えます。
労働問題は私たちみんなの問題。ひとりひとりの幸せを定義することから始めなくては「働き方改革」なんて絵に描いた餅になるに決まってます。
読後感がとてもスッキリな本でした。
MGの収穫⑤「主体性は教えることができない」
主体性という言葉を辞書で引くと、「自分の意思・判断で行動しようとする態度」と書いてあります。
当事務所での雇用経験と、多くの経営者、労働者を見てきた経験、自分自身の労働経験から私が痛切に感じるのは、人間が力を発揮するために最も大切なものは「主体性」だということです。
例えば職場で、あれをやってください、これをやりなさい、これのやり方はこのマニュアルの通りにしてください、電話の出方は○○で、メールの送り方は××で・・・このように何もかも指示命令をされたらどうなるでしょうか?
もちろん、最初のうちは指示命令も必要だと思います。何事にも基本というものがあり、基本を知らずに主体性だけあっても主体性は生きません。ですが、指示命令が行き過ぎたらどうなってしまうか?
指示待ち人間
マニュアル人
ロボット人
私は職業人というものは、主体性が発揮できるようになれば一人前だと考えています。
こう思うから、こうする。
主体性を持った人の心には「思い」が宿ります。決してイエスマンではありません。
Y理論で有名な小林茂氏はこの「思い」のことを創意と言いました。創意工夫の創意のことです。
人間は生まれながらにして思いを持っている。
それは誰に教えられたことでもなく、真剣に自分や世間と向き合って生きていく中で止むに止まれず育っていくものである。
そういう点では例えば受験勉強というものは、もしかしたら人から主体性を奪ってしまうものではないかと思うことがあります。
受験勉強=他人が決めた正解を当てるゲーム
そこには自分の思いなど、全く尊重されません。むしろ、コンピューターのようにプログラム通りに正解を出すことだけが求められます。
私が大学生の頃、ホテルでアルバイトを始めたばかりの時に、何でもかんでも人に聞いて指示してもらおうとしたことがありました。
ホテルの仕事はどちらかといえばマニュアルが整っていることが多いのですが、中には臨機応変な対応が必要なこともありました。おバカな大学生だった私はマニュアルで決められていないことを何も考えずに先輩に質問して呆れられたことが何度もありました。
そういう時の先輩の答えは、一言で言えば「自分で考えなさい」ということだった気がします(今では実際に何と言われたかまではよく覚えていないのですが)。
今思えば受験勉強直後の私は、もしかしたら主体性が失われてしまっていたのかもしれません。
少なくとも物事を立ち止まってじっくりと考えてみるよりも、一秒でも早く正解を教えてもらおうとしていたことだけは確かです。
MGの感想文に「私は優秀ではないから、こんな研修は続けられません」と書いてくる人がごくたまにいます(ゴルゴMGでは感想文のシェアをするかしないかを問うダイアログがあるため、シェアをしない直球の感想を書いて頂けることがあるのです)。
自転車に乗ったことが無い人がいくら考えても自転車に乗る方法がわからないのは当たり前で、乗れるようになる唯一の方法は「とりあえずやってみる」「転んでももう一度乗る」なのですが、それをできないと思い込んでしまってやってみようとしない人が実際にはいます。
これもやはり主体性の問題です。やろうとしない人にやれとは誰も言えません。これはもう、そっとしておいて本人がやる気になるのを待つよりほかありません。
主体性が毀損している方のひとつのパターンとして、ネガティブワードを口に出して言うということがあります。
やりたくなければ黙って帰ってもいいのに、わざわざ「二度とやりたくない」「来るんじゃなかった」と口に出すわけです。
これはもう、他人にそれを聞いてもらいたいからに他なりません。本人は慰めてもらいたがっているのです。
そういう時、私はその感情にあまり付き合わないようにしてます。あたかもその言葉は聞こえなかったかのように、取り合いません。負の感情を否定も肯定もしないのです。
その代わりに、少しでもポジティブな言葉が出てきたら、すぐ反応します。「ここを教えてください」「ここはどうやればいいのですか?」こういう言葉が出てきたら、何事もなかったかのように、冷静に簡潔に答えます。そうしていると、段々とその人はポジティブなことしか言わなくなり、いつの間にか笑顔でMGに取り組むようになっていました。
主体性とは、人間に行動を起こさせるエンジンです。
教育や指導、しつけなどは、ハンドルやブレーキです。
エンジンが止まっている車のハンドルやブレーキをどれだけ動かしてもどこへも行けません。
西順一郎先生のMGの思想のひとつに「教えあい、教えない、紙は自分で」というものがありますが、職場での人材育成もこれと全く同じだと思います。
そもそも学びというものは、誰かからやれと言われたり、「これこれだから覚えておきなさい」などと教えられたりするのではなく、自分から「これを知りたい、これを分かるようになりたい」と意欲や目的を持っていなければ、何一つ身に付かないものです。だから学びは自分から求めて得ようとするものでなくてはなりません。これが「紙は自分で」の所以です。
「自分の行く場所は、自分で見つけたい~」
という歌詞がありました。
人間は元々主体性を持っているはずなのですが、過保護教育や教えすぎのせいで、学びや気づきの本当の喜びを知らずに育ってしまうと、何一つ自分で意思決定できない主体性の毀損した人間が出来上がる気がします。
少なくともMGを愛している人は、例外なく確固とした主体性を持っています。主体性は教えることは出来ませんが、私はMGを学ぶことで主体性の大切さに気付くことが出来ました。
社員教育にMGを取り入れる会社は、様々な目的を持っておられると思いますが、個人的にMGの最も大きな効果は主体性の獲得(再生)にあるのではないかと感じています。
10年後の仕事図鑑
有名な人が書いている本なので、細かいことは紹介しなくていいだろう。
大事なのは何が書いてあるか?だ。
AIをはじめとするテクノロジーによって未来が劇的に変化するということが数年前から盛んに取り沙汰されるようになり、そうした社会の中で人はどう働くべきか? どう生きるべきか? ということが本書のテーマだ。その割にはいかにもありふれたタイトルで、内容の良さがちっとも伝わってこないのはとても残念。センスのない編集者だなあ。
子供が高校に進学し、大学の学費の心配をし始めたことも本書を手に取った理由のひとつ。
どんなことを学び、どんな職業選択をすべきか? 自分は見てのとおり随分と遠回りしてしまったが、これからの時代を生きる我が子たちにはより幸せな人生を歩んで欲しいと思っている。いわゆる「後悔しない意思決定」をさせてやりたい。
AI時代に向けて、彼らはどんな選択をすればいいのだろうか?
この本の中にはタイトルどおり、「淘汰される仕事」と「新たに生まれる仕事」も列挙されているから、それらを読んで想像を膨らませれば、ある程度のパターンは見えてくることだろう。
さらに、経済システムそのものの変化についても書かれている。実はここが肝心で、経済システムが変化すると、有利な生き方も変化する。
AI時代というのは結局、AIが人間の仕事を模倣する時代ということだ。苦労して身に着けた職人技も、AIに模倣されてしまったら100分の1のコストで代替されてしまう。AIに模倣されなくても他の人間が同じ技術を身につけたら価格競争になる。つまり、真似されにくくて価値のある仕事が有利なのだ。
著者のひとり・ホリエモンは言う。
「好きを極めろ」と。
「趣味に没頭せよ」と。
今有名になっている(もちろんお金もたくさん稼いでいる)ユーチューバーたちの多くは損得勘定を考えずに配信を始めた人たちだ。いやむしろ、損得勘定なんかやっている人はユーチューバーにはなれまい。ひたすら好きなことを損得勘定抜きでやり続け、世の中の人々から面白がってもらえるレベルに達した人だけが価値を持つ時代が来る。
逆に言えば、衣食住などの生きる上で最低限必要なことのためにあくせく働かなくて済む時代がすぐ目の前にやってきているということだ。
ちなみに私の大学時代の先輩もそういう人だった。学生の頃から競馬が好きで、親からの仕送りを全額握り締めて競馬場に通い、学生ローンで借金してまで競馬にハマっていた。その後、私が就職した出版社の競馬雑誌に彼を紹介したところ、彼はライターとして徐々に人気を博し、やがて人から勧められてダイヤルQ2で競馬の予想を販売するようになった。それまでは借金を抱えてヒーヒー言っていた人が、いきなり月収100万円を超えるようになった。(もちろん競馬でも稼いでいたと思うが、テラ銭30%のJRAで勝ち続けるのは容易ではないだろう)。
これなども好きを極めた結果、それで喰えるようになってしまった好例だと思う。
これからの時代、生きていけるのは当たり前で、問題はそこから先、いかに有意義な人生を生きられるか? いかに楽しい人生を生きられるか? に問題はシフトしている。
このあたりは以前に紹介した「お金2.0」も合わせて読むといいと思う。
そして歴史を振り返ってみればいい。
なぜ現代人は毎日自分の食物を自分で育てなくて済むようになったのか?
なぜ現代人は自分で作り方すら分からないような複雑な製品に囲まれて生活できているのか?
すべては分業と経済システムのおかげだ。
それらが新たなテクノロジーによってもう一次元進歩しようとしている。
3次元の世界から2次元を考えることは容易だが、その逆は難しい。
少子化も長寿化も怖くない!(テクノロジーがすべて解決してくれる)
怖いのは過去に起こったことがこれからも起こり続けるという根拠のない思い込みだ。
とっくに存在意義を失った大学に莫大な学費を払い、貴重な10代の時間を受験に捧げ、インターネットやeラーニングでも学べる大学の授業を受けたり、試験の時だけコピーを回して単位を取ったり。そして就活という茶番を経て大企業に入ったところで、やりたい仕事ができる保証もないし、会社が未来永劫存続する保証もない。
そもそも大学は就職予備校ではない。学問を研究をする場所なのだ。誰も答えを知らない問題について考え、仮説の正しさを検証し、世に問う人々のためにある。落合陽一の言葉を借りれば教科書を書くのが学問、教科書を読むのが勉強。それは医学部とて同じのはずで、医者になりたい人間と医学を研究する人間をごっちゃにすべきではないと思う。
「修士論文の代わりに退学願を提出してきた」を参照してるエントリ
正直、落合陽一くらい努力して本流の研究者を目指すのであれば別だが、そこまで行けない一般ピープルはワークアズライフならぬワークアズラーン(Work as learn)で行くしかないだろう。
親の金で大学行っても勉強する気にならないという意見が上記のリンクにも書かれていて、なるほどと思うし、オワコンの大学に行くくらいなら、まず社会に出て働いたり起業したりしてお金も稼いで、その後からでもMBAや本当に学びたいことが見つかってから大学に行ったって遅くはない。
もちろん、学校に行かなくても仕事を続けながら学ぶこともできるし、職業人が一生学び続ける時代はすでに始まっている。
この本の中に目指すべき方向は大体書いてあるが、問題はそれを選択することに勇気が必要なことだ。だが、その状況はその人にとって有利だ。多くの勇気の無い人が損な選択をしてくれるせいで、勇気ある一部のアーリーアダプターの希少価値が更に増す。
人の行く裏に道あり花の山。
人生100年時代 ~新しい働き方と求められる能力~
セミナーの感想です。登場人物は以下の4人。
・伊藤禎則(経済産業省)
・小泉文明(メルカリCOO)
・曽山哲人(サイバーエージェント人事総括)
・田久保善彦(グロービス・司会)
冒頭に伊藤氏の講演が30分あって、その後1時間半の座談会。
伊藤氏の講演はいわゆる働き方改革について、旗を振っている役人の立場からのお話。
私は日頃の言動からは、アンチ役人と思われていそうですが、こういう時は真面目に話を聞くんです。
彼らにしか持てないリソースが注ぎ込まれていて、未来予想としてはそこそこ使えるまとめになっているから。
・日本ではカネは余っているがヒトは足りない(質も量も)
・日本型雇用の最大の特徴は、職務が限定されないこと。教育訓練はOJTに依存している。だから長時間労働になりやすい。
・(人生100年時代の)個人の職業寿命60年>企業の平均寿命30年
・これからのキャリアはマルチステージ化が避けられない
・テクノロジーの進化、社会の変化に労働者が対応していくためには、リカレント(反復)教育が必須となる
・長時間労働は論外~真の成果生産性による評価や多様な働き方の選択、そしてより広い視野でキャリアを個人が選択していくことが必要
日本の大企業の中でこういう働き方をさせてあげられている会社はまだほとんどなくて、厚生労働省のモデル就業規則にも、ようやく最近になって副業を認める条項が入ったくらい。
その後の座談会では、先進的な取り組みをしている(らしい)大企業2社からのゲストを交えて同じテーマを掘り下げる。
・資本効率は大企業化した方が強い(高い給料がもらえる)
・人事効率は小さな会社や組織の方が良い(成長できる)
・裁量、配置、決断の経験によって才能が開花する
・いきなり自由を与えられても困る人がいる(レールを敷いてほしい人)
・先進企業で実際に今やっていることは各社員へのヒアリングやリサーチを頻繁に行う事(何かサインがあったらランチに誘う。社員側は無関心も嫌うが見られ過ぎも嫌がる)
・ビジョン、ミッション、バリューによってカルチャーを作っていく(企業文化、風土・・・阿吽ではまとまらない)
・働き方改革の落とし穴は、企業の利害と個人の利害がバッティングしてしまうこと
というわけで、これからの時代は「大人の学び」ブームが来ることになりそうです。
では、日本の教育環境はどうかというと・・・。
・今の日本の大学は企業が求める人材を育てられていない
・ビジネスだけ学んでもダメ、哲学とか歴史とか芸術とか、幅広い教養があった方がいい
・欧米の大学ではダブルメジャー、トリプルメジャーが当たり前
・就業型インターンシップをもっと活用すべき
・キャリア論をまず学ぶべき
・F1のピットインみたいな時期が必要
・憲法で保障すべき人権としてキャリア権を認めるべき
・官僚から見てグロービスはかなりイケてる
・ナンバー1はどんどん外部に出ていって成長し、ナンバー2は守備固めをするので成長が止まる。結果、ナンバー1とナンバー2の格差が拡がってしまう
パネラー達はどんな学びを実践してきたか・・・。
・新聞を10紙読んでインプットし、毎日ブログを書いてアウトプット
・とにかく本を読むことがローコスト、ネット動画も使えるものがたくさんある
・仕事の現場での修羅場を経験することが一番糧になった。そうした経験を積むためにはリスクテイクすることが必要。
・リスクを取って失敗した人は責めないだけでなく、セカンドチャンスを与えることで報いるようにしている
・社内副業をやっている(別部署や子会社の社長など)
・自分への期待値のコントロールをしながら「成功するまでやる」
・短所を補うよりも強みを伸ばす方がキャリアにはプラスではないか
まとめ
・ロボットやAIにできることはやってもらって、人間は人間らしく働くようにしたい
・クリエイティビティ、自己表現、個人の意思、好きなことを徹底的にやる
・自分らしい自然体の働き方がしたい(感情のマネジメント)
私の感想
・とても大事なテーマだと思うけど、答えを単純に定義できるような問題ではない
・振り返ってみると、なんだかきれいごとみたいに聞こえてしまう
・実際、グロービスに学びに来ている人は、大企業とか公務員の(金銭的に)恵まれた立場にある人が多い
・待遇の良い大企業に入ってしまうと、そこからスピンアウトして旗を立てたり、自発的に努力したりしてリスクを取るよりも、無難な人生を選ぼうとしてしまう人が多いのではないか?(役所なら尚更)
・中小企業は待遇は劣るが、意思決定の経験はできる。会社全体を見る目は自分の過去の経験からすると50人~100人規模の企業だったとしても難しかった気がする。つまりそこでの意思決定は全体最適の視野に立っているとは言えないものだった。(出版社時代、ホテル時代)
・(社労士として中小企業にアドバイスするなら)まずできることは幹部がひとりひとりとこまめに話をするか、それが難しければ様々なリサーチをする。職場を離れた研修やレクリエーションなどでコミュニケーションを図る。評価制度は原資に乏しい中小企業では社員を不安にさせる要因の方が大きいので勧めない。中小企業の強味である経験という財産を社員にどんどん与える。
・(これまでのキャリアを振り返ってみて)一番失敗したというか、前提を取り違えていたと思うことは、とにかく「落ち着く場所」を探そうとしていたこと。例えば正社員とか。これは世間も同じく前提を取り違えていたという問題でもあるのだが、これといったスキルの無い人材が正社員として「落ち着く」チャンスは新卒一括採用時かせいぜい第二新卒くらいまでしかないと思われていたこと。実際にはマルチキャリアの時代に移行しつつあったのだから、それを前提にして様々な職種を経験するというリサーチをもっとやるべきであった。もしも22歳からやり直すとしたら、様々な営業職を経験したり、現場系の技術職とかシステム開発、ネット通販、介護職などをやってみたい。そしておそらくそのどれかで35歳までに起業することができると思う。自分に合う仕事は何か? 今から参入するのに有利な業界はどこか? そういったことを探りながらキャリアを模索するつもりでやるだろう。22歳からでなく、18歳からスタートすれば、30歳までに起業することもできるかもしれない。
・(学歴をどうするか?)これも前提を取り違えていたと思う。大卒というものを、社会に出るための必要条件として考えていた所がある。実際にはそうではなく、具体的に「何を」「どのレベルまで」学んだか?が問題なのだ。そういう点では、自分がかつて選択した経営系の学部では、つい最近グロービスで学んだくらいの経営戦略やマーケティング、リーダーシップ、会計の基礎知識と考え方を身に付けているべきだったが、実際には私はそれらを全く学ばずに卒業できてしまった。そもそも入学してすぐに大学に履修届を提出させられるわけだが、サークルの先輩とかに相談すると「この科目は楽勝で単位が取れる」とか「この科目は出席がうるさいからやめといた方がいい」といった情報しか得られなかった。彼らもやはり大卒を一種の資格のようなものと勘違いしていて、楽をしてそれを取ることしか考えていなかったのだろう。自分に一番足りていなかったのは、何を目的として学んでいるかをしっかりと定義できていなかったことだ。経営を学ぶということは結局のところより良い「意思決定」をすることが目的だということがはっきりと分かっていたら結果は違っていたと思う。その頃の私は小説家を目指していて、本気で経営を学ぼうという覚悟がそもそも無かった。それならそれで、文学部に入るなり、ダブルメジャーで両方やるとか、今だったらそういう選択をすると思う。
・(今から選び直すとしたら?)私が一番欠けていたと思うのは「経営体験」だ。例えば経営の意思決定と言われても十代の私には何のことかピンとこなかったと思う。今ならMGをやってみればいいということになるけれども、MGを知らなかったとしても、何らかの商売を経験することがとても大事だったと思う。そうすることによって、値決めやら仕入やら広告といった様々な意思決定の選択肢を理解できたはずだ。縁日のたこ焼き屋でいいからやっておくべきだったのだ。今ならネット通販とかでもいい。PDCAのDが必要だ。その上で何をどう学ぶ必要があるかを考えれば良かったのだ。学びはアウトプットを意識して取り組まなければ絵空事になってしまう。
「お金2.0」を読んでみた
お金2.0
佐藤航陽
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E9%87%912-0-%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A8%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9-NewsPicks-Book-%E4%BD%90%E8%97%A4/dp/4344032152
書評というか、ただの感想文です。
この作者の名前には記憶があった。以前に「未来に先回りする思考法」という本を読んでいたので。これもSNSか何かで流れていて、たまたま興味を持ったのがきっかけで読んでみた。
私は書籍というのはそれが良書であれば価格とは比較にならないくらいの投資効果があると思っているため、たいしたきっかけがなくても、ちょっと面白そうだと思っただけでポチっとやってしまう。なので、おそらく積ん読だけで50冊以上は溜まってると思う(それを愚かな消費とは思わない。書籍など全部を読む必要は元々ない。有効成分だけ吸収すれば目的は達成なので。あと、購入費だけでなく読む時間もコストなので、買った本を全部読んだらそれこそ時間の無駄遣いだ)。
前著の方だが、これは先見性をいかにして身に付けるかといった話。2年くらい前に出た本だが、私が普段、疑問に思っていることの答えが結構書かれていた記憶がある。つまり、面白かったということ。(私から見て)さして有名な著者ではないし、著作もこれだけなので、意外な当たりを引いた気分だった。
で、今回は「お金」がテーマ。
読む前の時点での私のお金に対する思いを箇条書きにするとこんな感じだった。
・ここ数年、世界の様々な国で金融緩和があって、お金の総量がメチャクチャ増えている
・モノづくりより金融業の方が儲かってる世界って健全なのかな?
・フィンテックとかビットコインとか最近話題になってるけど、怖くて手を出せないな~。でも儲かるのかな?
・世の中の変化のスピードがどんどん上がっていて、AIをはじめ色々なテクノロジーが進化してきそうだけど、これから先どうなるんだろう?
はい、読んでみた感想は・・・前著の時の切れ味は鈍ってなかった!
読む前に抱いていたモヤモヤ感が、スッキリと整理配置された感じ。
どんな感じかというと、これまで3次元のものを2次元で見ようとしていて、こっちから見るとこう見えるのにあっちから見ると違って見える・・・これは何だろう?と思っていた気がするが、それを3次元で見れば、一目瞭然だ。
お金というものはそもそも経済というシステムの一部で、経済というのは今ある資本主義とか貨幣経済以外にも取りうる形が色々とあって、それらは全て仕組みによって勝手に回っている。決して誰かがそうなるように仕向けているわけじゃなく、参加者が好きなように行動した結果、ある一定のパターンが生まれたりする。経済の参加者も誰かが集めてきたわけじゃなく、勝手に集まってくる仕組み。
経済を回す小道具としては今あるようなお金以外にもいろんなものが使える。
お金は価値を保存したり、計量したり、交換したりする手段だが、それらの機能は違うものでも代替できる。ビットコインはその中のひとつ。
一方、価値の方も今お金で売り買いされている「有用性」という価値以外にもいろいろ存在する。
価値とは人間の欲求を満たすものなので、モノやサービス以外にも色々ある。
代表的なのが承認欲求。
承認欲求を満たすSNS上での「いいね!」やコメントなどはそれ自体を価値や心の報酬として参加者を行動させる動機となる。つまりSNSも経済システムのひとつであり、そこでは通貨の代わりに承認欲求を満たす価値がやり取りされている。
仕事の「ヤリガイ」とかも価値だ。間違いなく人間の欲求と対になる。それをうまく生み出せているのが「いい会社」なんて言われるが、会社も経済システムだ。
お金でモノやサービスを買うというのが今までの経済だったが、実際にはそのどちらも代替性を持っていて、お金じゃない手段で買うこともできるし、モノやサービスではない価値を買うこともできるようになる。交換は交換だが、交換の主体と対象は様々に変化しうる(軸の固定を外せば次元がひとつ上がる)。
これがお金の正体であり、経済の正体だ。
これまでマンキューとかクルーグマンとか、有名な経済学の本をかじったことはあったが、こんなにズバリと経済の本質を言い当てているのはこの本が初めてだ。
マンキューもクルーグマンも有名な大学の先生だが、著者の佐藤航陽は大学中退だ。母子家庭で貧乏だったので、大学を辞めて起業して、ビッグデータの解析とかをやってるうちに経済の本質が見えちゃったらしい。そう考えると大学はもう終わってるな・・・。
この本には優れた経済システムの特徴がいくつか書かれている。
・報酬
・リアルタイムな変化
・不確実性
・ヒエラルキー(偏り)
・コミュニケーション
・寿命が有限
・共同幻想
世の中の様々な経済システムにこれらの要素を当てはめていくと、見事に合致する。
ちなみにマネジメントゲームも経済システムとしてはとても良くできていることが分かった。
逆に社会主義とか官僚主義とかは停滞を招いて経済システムとしては破綻を招きやすいことも良く分かる。
最後に結論。
この本を読んでどう思ったか?
明日から何を変えればいいのか?
お金も経済もこれからは多様性(選択肢)が一気に増える(分散化)。
たとえば野球しか選択肢が無い時代に野球が苦手な人はかわいそうな人になってしまうが、1000種類のスポーツの選択肢がある時代なら、もしかしたらカーリングで一番になれるかもしれない。
未来の人々は、「昔は国営通貨しかなくて、誰もがそれを取り合って競争していたんですねえ・・・大変な割に報われない世の中だったのですねえ」などと思うかもしれない。
もちろん、経済がなくなるわけではない。おそらく価値のやり取りは今よりも更に加速することだろう。そうなった時に問われるのはやはり価値だ。既存の枠組みにとらわれない新しい価値の在り方にいかに柔軟に対応していくか?
・新しいテクノロジーはとりあえず使ってみる
・面白いと思う事はとりあえずやってみる
・ムダだと分かることには時間を使わない(大学とか)
未来に向けて背中を押してくれる本だと思う。
感情を理解してコントロールする方法
仕事でミスをしたんじゃないかと思った時に、すぐに相手に電話して謝ってしまおうと思う人がいます。
そして、相手に電話した後で、実はそれはこちらのミスではなかったということに気づいたとします。
相手に「ミスではなかった」ことを報告したとしても、失った信用は戻ってきません。
慌て者だな、と思われてしまいます。
仕事に責任感を持っている人ほど、焦った時に慌てたくなるものです。
まじめな人ほど損をする結果となります。
真面目は一般にいいこととされていますが、真面目=考えが足りない人、でもあるのです。
考えが足りている人はどうするかというと、ミスをしたかもしれないと思った時にも慌てません。
「急いで相手に連絡する必要があるかどうか?」を冷静に考えます。
大抵の場合、それがミスであっても、5分や10分急いだところで結果は変わりません。
だとしたら、まずそれがこちらの責任のミスなのかどうかをきちんと確認した方がいい、ということになります。
この時点で何割かは「こちらのミスではなかった」と気付けます。
こちらのミスだったとしても、そのミスがなぜ起こったのか? 今後どうすればそのミスを防げるかをしっかりと考えます。
その後で落ち着いて相手に連絡をします。
相手もバカではありませんから、すでに起こってしまったミスについては、責めても仕方ないことは分かっています。それよりも心配なのは、これから同じミスが繰り返さないかということです。
考えが足りている人は、ここまで考えて対処しています。
人はなぜ、ミスをしたかもしれないと思った時に「すぐに行動しよう」としてしまうのでしょうか?
実はこれは感情の働きのせいなのです。
慌てたり、焦ったり、というのは感情のしわざです。
なぜ人間には感情が備わっているのでしょうか?
実は感情というものは、原始時代から人間に備わっている性質なのです。
原始人がライオンに襲われた時、冷静に考えていては食べられてしまいます。
そういう時に何よりも大事なのは「すぐ行動すること」です。
木に登るなり、走って逃げるなりして、ライオンから逃げなくてはなりません。
その性質が現代の我々にも残っているというわけです。
感情は原始人にとっては役立つ性質でしたが、現代人にとっては面倒を引き起こすことの多い特性です。
人間には感情というものが原始人の名残として残っていて、何かアクシデントがあると人間に「すぐに行動」しようとさせる性質がある。
このことを知っているだけで、自分に生まれた感情を理解することができます。
感情を理解できれば、「本当に今すぐ行動する必要があるか?」を考えることもできるというわけです。
慌てることと急ぐことの違い
人間、簡単なことを勘違いすることがよくあります。
車を運転していて、目的地に早く着きたい場合、ついついアクセルを強く踏みがちですが、目の前の信号が赤になってしまったら止まらなくてはなりません。
信号もなく、歩行者もいない真っ直ぐな道であれば、早く着くこととアクセルを踏むことの間に相関関係が生まれますが、実際の道には様々な障害物があります。
仕事でも同じです。
短距離競走のような単純な仕事は少なく、ほとんどの場合、複雑な障害物競走です。
以前、料理の鉄人という番組で圧倒的な勝率を誇った和の鉄人・道場六三郎は、時間制限のある勝負なのに冒頭であえて手を止めて紙に墨書でお品書きを書きました。
障害物競争は、短距離競走と違い、すぐに作業に着手することよりもまず、計画を立てることの方が重要だからです。
社労士がビジネススクールで学ぶ理由
私は現在、グロービスというビジネススクールで経営の勉強をしています。
人事労務の専門家としての能力ということで言えば、国家資格の社会保険労務士試験に合格するところまでで社会保険と労働に関する法律の知識を身に付け、開業以来、実際に様々な中小企業の経営者の方から相談を受け、指導をしてくる中での実務経験があります。
労務分野に関しては労使紛争を専門とする弁護士さんや同業の社労士仲間と一緒に、勉強会にも参加していますが、現状、ほとんどの場合私が頼りにしているのは、これまでの経験を元にした「感覚」です。
さて、この「感覚」という奴が問題です。
ご覧の通り、自営の個人、一匹狼のコンサルタントというのは、何でも自由にできて非常に効率良く仕事ができるというメリットがありますが、「感覚」は人それぞれであり、正しいという保証はどこにもありません。
2010年の時点で当たり前だった感覚が、2015年の時点では時代遅れとなる可能性は十分にあります。例えば2010年頃には今ほどスマホが普及してませんでしたし、SNSもまだまだ下火でした。
時代と共に人の「感覚」も変化していきます。また、それに対応して新しい考え方も生まれてくると思うのです。
ですので、僕がビジネススクールで学んでいるのは、一匹狼にとって不足しがちな外部情報を補うことが目的といってもいいかもしれません。
たとえば、テニスをコーチから習うとして、そのコーチが我流ですべて教えている人なのか、それとも日本テニス協会の最新式の指導理論を常に学んでいる人なのか、どちらが安心して指導を受けられるか?
コンサルタントはその人自身に価値がありますので、一匹狼である人は組織に属している人よりも強い部分がありますが、最新の情報を外部から常に導入しているかどうかという点では心配な部分もあると思います。
僕がビジネススクールで学ぶ理由はそこにあるというわけです。
経営者らしいものの考え方【逆選択】
品質の良い商品と品質の悪い商品とが混在している市場において、情報の非対称性が存在すると、いずれは品質の悪い商品だけが市場に残ることとなる。
情報の非対称性が存在する(売り手と買い手が保持している情報量に格差がある)状況において発生する市場の失敗のひとつです。
有名な例は中古車市場です。
売り手は良質な中古車と粗悪な中古車を見分けることができ、買い手は走行距離や初年度登録などの客観的なデータは得られますが、その車に本当に事故歴が無いかどうかは分かりません。
そうなると、買い手は高い中古車を買って程度の悪い車を掴まされるくらいなら、安かろう悪かろうの中古車を買った方がマシだと考えるようになります。
そうなると、市場では安くて悪い中古車しか売れなくなり、良質な中古車が流通しなくなってしまい、良質な中古車を買いたい人は我慢して割高な新車を買うことになります。
こうしたことを防ぐために、車検証の偽造が罪になるような法律が有ったり、新車を扱うディーラーがそのブランドを生かして中古車を販売したりしています。
車よりも高額な不動産では、不動産鑑定士という国家資格者がいて、公正な鑑定を行う仕組みがあります。
自社製品が逆選択の被害に遭わないようにするためには、情報の非対称性を解決する工夫が必要です。
例えば農作物の風評被害を避けたければ、実際の品質をできる限りオープンにして、買い手側に情報の信頼性を高めることが必要です。お米のセシウム検査なども、サイトに「検査済み」と表示するだけでなく、実際に検査機器を用いて検査している動画を載せるなどの工夫をすることで、偽装の疑いを持ちにくくなります。
経営者らしいものの考え方【モラルハザード】
何らかの契約をした後で、依頼した側(依頼人)が観察できないところで、依頼された側(代理人)が取る行動が、依頼人に不利益をもたらすことをモラルハザードと言います。
「倫理観の欠如」と翻訳されることが多いのですが、経済学では倫理観は問われません。
外回りの営業マン(エージェント)が、上司(プリンシパル)の目を盗んで、勤務時間中に仕事をサボる場合などが代表的な例で、「プリンシパル(依頼人)=エージェント(代理人)問題」と言われます。
会社の株主(プリンシパル)が経営者(エージェント)を、業績に連動する報酬で任用した場合、経営者は会社に大きな利益をもたらせば高額の報酬を得るが、多額の損失を会社に与えても(あからさまな過失・故意が立証されない限りは)損失を負担する義務はなく、最悪でも解任されるのみです。このとき経営者の収入期待値を最大化する経営判断は、会社にとって最も合理的な判断よりも、よりハイリスク・ハイリターンなものとなります。しかし、株主は経営判断のための十分な情報をもたないため経営者の判断に任せるほかないため、ジレンマが発生します。
モラルハザードを防ぐには、情報の非対称性を解消するのが一番ですが、現実にはそれが難しいことが多いものです。例えば外回りの営業マンを監視するために、小まめに携帯電話で連絡を入れさせれば、外回りの営業マンを信頼して任せた場合よりも業務効率が落ちることとなります。
そのため、外回りの営業マンに対しては成果報酬というインセンティブで行動を縛ることが多くなります。ところがこのインセンティブに対する最適化(短期的利益)が、実際には会社が本当に求めていること(長期的利益)とずれてしまうことがよく起こります。インセンティブを用いる場合には、こうした弊害にも配慮が必要です。
経営者らしいものの考え方「囚人のジレンマ」
二人の容疑者が別室で尋問され、一方が自白し、もう一方が黙秘の場合、前者は釈放、後者は10年の懲役となり、二人とも黙秘の場合は懲役1年、二人とも自白の場合は懲役5年となるとします。
この条件のもとで二人が最大の利益を得るためには二人とも黙秘することですが、相手の裏切りを恐れて結果的にどちらも自白するというジレンマが生じます。
個人が自らの利益のみを追求している限り、必ずしも全体の合理的な選択に結び付くわけではないことを示しています。
牛丼屋さんが安売り競争を繰り広げることなどがこれに当たります。
市場で商売をする上では、重要な概念です。このような、プレイヤー相互が影響を与え合う状況における戦略を考える学問をゲーム理論といいます。
経営者らしいものの考え方【機会費用】
いくつかの選択肢からひとつを選ぶ時、選ばなかった選択肢を経済学ではコストとして考えます。これを機会費用といいます。
例えば、1時間に1万円稼げる営業マンなら、移動の為にバスを1時間待って何もしないときの機会費用は1万円になります。
それよりも、タクシーで2千円払って30分節約できれば、5千円分余計に稼げるため、トータルでは3千円得することになります。
様々な選択肢の中から意思決定する際に、機会費用を考えることで、より効率の良い戦略を見出すことができるようになります。
経営者らしいものの考え方【サンクコスト】
サンクコストとは、「SUNK」(=埋没した)+「COST」(=費用)の意味です。
既に投資してしまい、取り戻すことはできないお金のことです。
典型的な例としては、フランスとイギリスが共同開発した超音速旅客機「コンコルド」があります。
様々な問題の為に実用性が薄いことが途中で分かっていたにも関わらず、それまでに費やした膨大な開発費(サンクコスト)と国家の威信を捨てることができず、27年も赤字を垂れ流し続けました。(最終的に両国の国内航空会社向けに16機製造されたただけで、わずか7年で生産が終了した)。
また、株式投資でもよくある話。
あなたは値上がりを見込んで購入したA社の株を保有している。ところが予想に反してその株はじりじりと値段を下げ続けている。こういった場合の最適な判断は損切りである事はあなたも承知だ。しかし、切る事ができず、塩漬け状態になってしまっている。
途中でこうすることが正しいと分かっていても、既に支払ってしまった費用の事が頭の片隅にあり、その行動の軌道修正ができなかったり、やめる事ができなかったりする。
そして、その既に支払った費用の事を埋没費用(まいぼつひよう)=サンクコストと言います。
第三者としてその状況を見れば、どうすればいいかが明らかにも関わらず、心理的に損失を確定させたくない作用が働けば働くほど、サンクコストは増加することとなります。
サンクコストはキャッシュフロー的にマイナスであり、企業や家計の資金需要を圧迫します。
また、心理的にも負担が大きく、後悔による精神エネルギーのロスとなります。
よって、サンクコストだと気付いたら、損切りを早くするのが一番です。
そのお金はサンクコストなのか?それとも本当に取り戻せるお金なのか?
仮に取り戻せるとしても、そのために膨大な時間が掛かるのであれば、その間の精神エネルギーのロスとどちらを取るか?
こうした考え方によって、損切りすることの合理性を自分に理解させることができるようになります。
(実はゴルゴは若い頃、ギャンブルが好きでとても多くの後悔を味わいました。人間の弱さを認めてからは、本気でギャンブルをすることはしなくなりました。お蔭で気分よく毎日を送ることができるようになりました。)
ゴルフの個人レッスン
先日、ゴルフの個人レッスンを受けました。
私は2009年に初めてゴルフを体験し、それ以来、年に5~10回程度のペースでラウンドしています。
はっきり言って下手クソです。
現在のベストスコアは112。始めた時のスコアは200以上で数えきれませんでした。
3年ほど前に10回くらいの短期スクールに通いましたが、そこで学んだのはグリップの握り方程度で、あまり効果がなかったように思います。
ゴルフも人によってはそのようなスクールでも十分に上達できるのかもしれませんが、私の場合はいわゆるオンチといってもいいレベル。
つい先日も130でラウンドしてきましたが、3打くらいでグリーン手前まで来るのですが、そこからグリーンに乗るまでに3打くらいかかり、グリーンの上で2打といった感じです。
これでも、以前に比べればティーショットでのOBが減った分だけマシなのですが、毎回のようにブービー賞やホタル賞で、成長のない自分が情けない思いばかりしていました。
去年は少し本気になって、一生懸命アプローチの練習をしましたが、がんばりすぎてひじが腱鞘炎になってしまい、半年間もゴルフができない状態に・・・。さすがに凹みました。
いっそやめてしまおうか、とも思いましたが、生来の負けず嫌いと、MGで培った「正しい努力を繰り返せば、誰でも一定の成果が出る」という信念に押されて、今期もプレイすることに決めたのでした。
問題は何が「正しい努力」なのか?という点です。
これまでは教材を買ったり、ネットで調べたりした情報を元に、自分で練習を繰り返してきました。
その方法でも、いつかは人並みのスコア(100前後)が出せるくらいには成長できると思っていましたが、さすがにケガはこたえました。
趣味なんだから、上達は自分のペースでも構わないが、ケガだけはこりごりでした。
ケガのリスクだけはできるだけ最小限に抑えたい。
そう思って、ある先生の個人レッスンを受けることにしたのでした。
受けてみた感想は、「他人の目には自分からは見えない自分が見える」でした。
思えば下手クソの私でも、他人の上手い下手は見ていてすぐわかります。
80台で回る人と、100台の人とでは、スイングの安定感が全然違う。
私にもちゃんとクセがありました。
ミスショットを恐れるあまり、身体がちゃんと回っていなかったのです。
9番アイアンを持って100球ほど、基本の動きから先生のチェックに従ってスイングを作り直しました。
おかげで今は全身筋肉痛ですが、ドライバーもアプローチも自信を持って打てるようになった気がします。
これまでは我流のため、心のどこかで「これでいいのかな?」と疑いながら振っていました。
これからは、自信という軸ができたので、成長のスピードが一気に加速すると思います。
ドライバーもアプローチも、なんでこれまであんなに苦労したのだろう?と思うほど、簡単に打てました。それもきれいなナイスショットが。
何事も、心の軸は大事だと思います。
我流で遠回りするよりも、専門家の力を借りると安心して前へ進めます。
次回のラウンドが楽しみになってきました。
開業8年目
2007年10月1日に愛知県社労士会に開業届を提出してから丸7年が過ぎました。
これまで、本当に多くの方との出会いがありました。
お客様、事務員、地域の方々、役所の方々、同業の方々・・・出会えた方すべてに感謝!!
8年目も、凡事徹底、しっかり学び、お役立ちできるよう、走り続けます!
社会保険労務士 木村正士
永遠の0
「失敗の本質」を読む前だったら、かなりのカルチャーショックを受けていたかもしれない。
同書のおかげで太平洋戦争の経緯や、旧日本軍の性質についてある程度の知識があったので、そうでもなかったが、戦後の歴史教育そのまんまの知識だったらきっとショックだったと思う。
旧日本軍の兵士たちの優秀さとエリート軍人たちの愚かさは、「失敗の本質」で総括されている内容とほぼ被るが、この本で新しかったのは、特攻を志願して死んでいった兵士たちの心情の部分だ。
これは現代の日本人が深く知らぬまま置き去りにしようとしている歴史の事実だ。
戦前の日本人は天皇を現人神だと洗脳されて、愚かな特攻を行ったという認識は確かにこれまでの歴史の授業で習った内容であるが、よく考えて見ると理解しがたい心情であった。
実際の彼らの思いがどうであったかは、今となっては知る方法はない。
ただ、もしも自分がその立場に置かれたとしたらどう思うかを想像してみることは大事だ。
そう考えた時、あれほど多くの人が簡単に洗脳されると思うだろうか?
死を前にしてなおも同調圧力に屈するほど当時の日本人は愚かだったのか?
エリート軍人や官僚たちが同調圧力に屈して愚かな指令を出したことと、最前線の兵士が同調圧力に屈すること(実際に死ぬこと)とは全然意味が違う。前者のインセンティブは出世だと容易に想像できるが、後者のインセンティブは非常に理解しがたい。
唯一考えられるとしたら、それは家族のため、子孫のため?
主人公のゼロ戦パイロットには子孫がいた。
臆病者とののしられつつも、必死に生き延びようとする主人公は、もし自分がその立場だったらどう思うかを読み手の現代人に突きつける。
結局最後に彼は自分の命よりも子孫を生存させることを優先して特攻する。
確かに物語の中では、彼の思いは運命の糸によって子孫を救うのだが、実際はどうだろうか?
どう考えたって、彼が死ぬより生きて帰った方が、子孫を生き延びさせる可能性は高まるはずだ。現実は物語のように都合良くはいかない。
子孫を残したかったら、特攻するより生き延びる方が断然有利に決まってる。
そういう判断を考えられない状況に彼らが置かれていたとするなら、それは一種の洗脳といってもいいかもしれない。
兵隊の志願者の多くは、メシを喰うために軍隊にやってくると書かれていた。
一種の就職だ。口減らしだ。
兵隊にとっては、命の限り戦うことが生き甲斐なのかもしれない。
船に乗った以上は、船が沈む時には運命を共にする覚悟はできていたのかもしれない。
彼らをそんな境遇に置いた世の中に絶望していたのかもしれない。
さあ、自分だったらどうするか?
漫画家の水木しげるの自伝を思い出した。
水木しげるは、劣等兵としてラバウルに送られ、戦場で片腕を失いつつも命からがら生還し、後に漫画家となる。
腕を負傷した時には、麻酔もない状況で片腕の切断手術を受けたという。
ひと思いに死ぬより、よっぽど痛い人生だ。
水木しげるに比べたら、特攻に行く方がよっぽどすっきりしていて、痛みもほんの一瞬で済む。
もしかしたら特攻で死ぬというのは、あまり面倒臭くなくて、一見カッコ良くて、当時としては悪くない選択肢だったのかもしれない(特攻に往く若者たちが、あまりに清々しく感じられるのは、生きることの煩わしさから逃れられるというスッキリ感なのでは?)。
洗脳というのは、面倒臭くて辛い選択肢と一緒に特攻という選択肢を用意して選ばせる手口なのかもしれない。
要するに・・・死ぬことくらい誰でもできる。生き抜くことの方が何百倍も大変で、価値がある。カッコいい死に方を選ばずに、カッコ悪くても生き残る道を選ぶべきだ。宮部久蔵は、まさにカッコいい死を選んだ。これは一見カッコ良く見えるが、その後の面倒臭い人生から逃げているに過ぎない。私が彼の父親だったら叱り飛ばすと思う。
でも、小説自体は面白かったので「海賊と呼ばれた男」も読んでみようと思うのであった。
グロービスマネジメントスクールに通ってます
この四月から、約一年ぶりにグロービスに通ってます。
科目はマーケティングⅠという基礎科目の第二ステップのもの。
グロービスはハーバード大学のMBA(経営大学院)を経験した堀義人氏が、20年前に作った日本人のためのMBAです。
一昨年、商工会議所青年部のイベントで体験授業を受講して、マーケティングの面白さと味わい深さを知り、学び始めました。
最初はガッツリ2~3年受講して、MBAホルダーを目指そうかとも思ったのですが、去年試しに2科目受講してみて、考えが変わりました。
ある意味、運が良かったのかもしれませんが、講師によって授業のクオリティが違いすぎたのです。
クオリティという言葉が適切ではないかもしれません。
遊び心とかこなれ方とか、守破離とか、そういう部分ですが、非常に違いました。
予備校なんかと同じで、一部の講師が異様にレベルが高く、面白い!
カリキュラム自体は共通で、一定のレベルをクリアしているので、悪くはないのですが、一部の講師は期待以上でした。
今回、履修しているクラスの先生はまっちゃんといって、とても破天荒な授業をしてくれます。
グロービスではケーススタディといって、ケースという読み物を事前に読み込んできて、予習レポートみたいなものを提出させられて、みんなヒーヒー言いながら事前勉強してくるわけです。
ところがこの先生はクラスの前半はまったく関係ない話ばっかり・・・。
あれほど必死に予習してきたケーススタディはどうなったの?とみんな不安顔。
他の講師のカタいパワーポイントを多用した詰め込み型の授業に慣れていた受講生たちは、その温度差にびっくりします。
彼のクラス運営方針というのがグロービスのHPに書かれていますが、
「(前略)つまり従来の「記憶する学習」だけでなく「経験による学習」を目指します。(自分の頭で考え、自分の言葉で説得でき、そして行動に結びつけるためのヒントが得られる!)」
なんとなく、マネジメントゲームの行入の考え方に似ています。考えるよりも感じる勉強ですね。
パワーポイントが嫌いで、手書きが好きなところも、MGの西順一郎先生と同じ。
面白い先生は極端に面白いので、マジメな先生と学ぶのがメンド臭くなってしまったのでした。
あと、本業をやりながら、ちゃんと内容を咀嚼して学んでいくためには、MBAはちょっと詰め込みが多くて、勿体ない。もっとゆっくりでいいから味わいながら長い期間を掛けて学んでいきたいというのもあります。
というわけで、今は仕事の合間を縫って予習や復習をやりながら、2週間に一度の授業を受けてます。
一緒に学ぶ仲間は、どちらかというと大手企業の若手~中堅社員の方が多いです。
大企業の社員さんは、やっぱり頭のいい人が多いな~と感じています。
僕はどちらかというと、のんびりと考えていってある時パッと何かに気付くといった感じ。
いわゆる正解を見つけ出すスピード感が全然違います。
でも、マイペースでもいいので、正解じゃなくてひらめきでいいので、気づきが得られればそれで十分だと思ってグロービスに通ってます。
書籍の紹介「失敗の本質」
失敗の本質(中公文庫)を読みました。
旧日本軍の太平洋戦争における敗戦の分析を通して、組織の在り方についての教訓が導かれています。
・ノモンハン事件
・ミッドウェー海戦
・ガダルカナル作戦
・インパール作戦
・レイテ海戦
・沖縄戦
6つの敗戦が詳細に分析されていますが、日本という小さな国が大国アメリカになすすべもなく敗れたという戦争全体のイメージに比べ、それぞれの戦いの中では日本軍にとって有利な状況もたくさんあり、その敗戦の原因はすべてヒト・組織の問題に帰するものでした。
とても残念だったのは、補給の軽視や情報の軽視、防御の軽視といった敗因から旧日本軍が学ばず、そのために多くの人々が犠牲になったことでした。
平和な時代に育った私には、戦地に赴く兵士の気持ちは想像し難いのですが、将官・参謀といった戦争の指導者たちが、物事がうまくいかなかった場合に備えて次善の策を用意するという戦略の初歩を疎かにし、精神論だけの突撃命令を連発して人命を粗末にしたことには憤りを感じてしまいます。
今の日本人には想像もできないことですが、膨大な命が犠牲になったのは歴史の事実であり、人間というものは、放っておけばそういう愚行をやってしまう生き物なのだということを意味しています。
自分があの時代に生まれなくて本当に良かったと思います。
愚かなリーダーの命令による理不尽な戦いで命を奪われる兵士は本当に憐れです。
いくつかの教訓をメモしておきます。
・青年の議論を大事にしよう。
・計画通りにいかなかった場合にどうするかを前もって考えておこう。
・一点豪華主義は最後にはバランス主義に負ける。
・作戦の目的をしっかり統一しておかないと、各自の判断が食い違い失敗する。
・思い込みや精神論に騙されないようにしよう。
・時代の変化(パラダイムシフト)にいち早く対応しよう。
なぜ社員は社長のように考えられないのか?(企業にとっての憲法論)
小室直樹の代表作『日本人のための憲法原論』を読みました。
https://www.youtube.com/watch?v=cmFwl5sh0uM
宮崎哲弥、橋爪大三郎、宮台真司が小室直樹のことを全力で推薦しているのを見て、その著作を読みたいと思いました。
それを読んで、気付いた点がこのコラムの表題です。
多くの社長さんとお話をしていて、とてもよく言われる悩みが以下のようなものです。
・なぜ社員は社長のように(自分で)考えられないのか?
・社員が自分で会社のためを思って働いてくれないのはなぜか?
つまり、経営者は社員も含めた会社全体のことを考えて行動しているのに、社員は自分の仕事のことしか見ることができなかったり、社長の気持ちを理解せず、利己的な行動ばかりしたりするということです。
経営者と社員とは、共に利益を生み出しそこから糧を得るという運命共同体なのですから、もっと思いが一致しても良いのではないかと思うのですが、実際にはそうはなりません。
社長のように考えて行動してくれる社員(=自律的社員)を育てる方法はあるのでしょうか?
現場を見る限り、それは無理だとこれまで私は感じていました。
ところが、この本を読んでみて、自律的な社員を育てる方法はあるかもしれないと思いました。
この本に書いてあるのは、国家において民主主義や憲法がそもそもどういうものなのかという『そもそも論』(=原論)なのですが、国家を企業に置き換えてみると国民は社員ということになり、国家権力とは経営者ということになります。
そうして考えてみると、企業における自律的社員とは、国家における自律的国民ということであり、国民が自分で国のことを考えて行動するように仕向ける方法が分かれば、それが企業にも応用できるはずです。
で、結論を言いますと、企業における憲法を定めることが自律的な社員を育てるための必要条件ではないかと思うのです。
ここで言う『憲法』というものの意味が重要で、恥ずかしながら私はこれまでよく知りませんでした。そしてこの本を読んだことにより、『憲法』というものの意味を完璧に理解することができたと思います。
●憲法とは国民が国家権力を統制するためのもの
これに対し、普通の法律は『国家権力が定めた国民に守らせるルール』です。企業における就業規則とは、国家における一般的な法律に相当します。
必要条件と言ったのは、憲法を定めればすぐに国民が自律的になるかを考えればすぐ分かると思います。選挙の投票率がそれを物語っています。憲法は自律的国民育成のための十分条件にはなり得ません。
ただし、もし憲法が無ければやはり、自律的国民は絶対に育たないでしょう。
よって、企業において自律的な社員を育てたければ、まず社員の権利を保障することから始めなくてはダメです。経営者の権力の範囲を明らかにしなくてはなりません。
そのために最も重要なのは『雇用契約書』です。
雇用契約書をまず、きちんと書面で交付すること。
人間の記憶は曖昧にできているため、書面は非常に重要です。
そして、雇用契約書には社員の権利と考えられるものをしっかりと書くこと。
たとえば、就業規則に「勤務時間中は上司の指示に従わなければならない」とあったとして、「上司の指示」はどこからどこまで許されるのかが書かれていなければ、社員の権利は保障されたとは言えません。
たとえば社長が公私混同して、社長の趣味で使うゴルフ用品の手入れを部下に命じることがあるかもしれません。もちろん、社長の身の回りの世話を目的として雇われた社員であればいいですが、事業内容とまったく関係のない社長の私生活のために労働を命じられることに対しては、社員は戸惑いがあるでしょう。こういったことが実際にあるか無いかではなく、あらかじめ定めておくことが権利を保障することにつながるのです。
・上司から部下への指示は事業の目的に即したものであるべきである。
また、上司の指示と外部の法律との関係もあります。実際に私もかつて期間工時代に、フォークリフトの免許を持っていないにも関わらず夜勤の時にこっそりフォークリフトを運転するように指示されて困ったこともありました。
・上司から部下への指示は外部の法令を遵守して行わなければならない。
賃金の変更も、経営者の権力によって行われることです。定期昇給という考え方は、公務員以外では一般的ではなくなりましたが、これを定めればとても価値のある社員の権利になるでしょう。定期昇給が無理だとしても、賃下げを行わないとか、賃下げを行う場合のルールを定めておくことも可能です。
・原則として賃下げは行わない。経営上の高度の必要性がある場合にも、6カ月以上前に額を予告して行うこととする。
一般に出回っている雇用契約書のひな形には、こんな条項は一切書かれていないと思いますが、多くの経営者が望んでいる『自律的社員の育成』のためには非常に重要です。
・社員の権利を明確にすること。
・社員の権利を可能な限り大きく認めること。
もちろん、権利の保障だけでなく、企業の目的や経営理念をしっかりと伝えることも必要です。(目的ばかり力説しても、権利の保障をしっかり行わなければ、自律的社員は育ちません。そういう企業が非常に多いような気がします)
心をコントロールする方法(書籍の紹介「やってのける」)
常識だと思われている嘘「意思が弱い人間は高い目標を達成できない」
非常識な真実「無意識の力は意思よりもずっと大きい。そして無意識を動かすにはコツがある(そのコツを知れば目標を達成する確率を上げることができる)」
『やってのける』(ハイディ・グラント・ハルバーソン著 大和書房)という本を読みました。
つい最近出た本ですし、著者も日本ではさほど有名ではありません。
でも、その中身は非常に価値があります。
どんなことが書いてあるかというと、人の心の性質についてです。
例えば、禁煙やダイエットなど、それを成し遂げたいと望んでいるのになかなか実行できないことが私たちにはたくさんあります。
でも、誰にもできないわけではありません。困難な目標でも、達成してしまう人はたくさんいます。
それでは、困難な目標を達成するためのコツとは何でしょうか?
これらの目標が困難な理由のひとつは、「思っていても(それだけでは)できない」というところにあります。
もうひとつは、「多くの人は自分の意志力を過信している」という点です。
例えば家族で食事に出かける時に、食べ放題のビュッフェを選ぶか?高級レストランを選ぶか?
自分の意志力を過信している人は、食べ放題のビュッフェを選んでも意思の力で我慢できると考えます。
でも、そうでない人は敢えて高級レストランを選びます。
実は人間の行動は意識の力(痩せたい!)よりも、無意識の力(腹減った!!)の影響を受けやすくなっていて、食べ放題のビュッフェを選んでいると最初の何回かは意思の力で我慢できても、一度タガが外れるともうおしまいです。
一方、高級レストランを選んでおけば、「お金がもったいない!」という思いが意識の力(痩せたい!)に加勢してくれて、無意識の力(腹減った!!)に勝つ可能性を高めてくれるのです。
高級レストランを選ぶ時に使う意識の力の方が、食べ放題のビュッフェで食べるのを我慢する時に使う意識の力よりも小さいのであれば、高級レストランを選ぶことはダイエットという目標を達成するのに有効な手段であると言えます。
このように、意識の力にできるだけ頼らず、もしくは意識の力をできるだけ節約して行動をコントロールすることが、自分の心をコントロールする上で有効なやり方だということが分かります。
意識-無意識の問題だけでなく、ありとあらゆる「人間の心の性質」について様々な実験を通して得られたデータを元に理論構築する学問のことを社会心理学と言います。
この本の著者は社会心理学の中のモチベーションと目標達成の第一人者だそうです。
人間の心というものは非常に複雑です。「人間の心」が思うとおりに操れれば、世の中の問題のほとんどは解決できてしまうことでしょう。
社会心理学とは、人間の心というある種の聖域を、理論構築によって解き明かしてしまう恐ろしい学問とも言えます。神秘があるが故に感動があったりするのですが。
「未来の働き方を考えよう(ちきりん著)」
「未来の働き方を考えよう(ちきりん著)」を読んだ。
ちきりんの言う未来の働き方のポイントは世の中が変化することを前提としてキャリアを考えるところにある。
人間は常に今という時間を生きているので、時間の経過とともに世の中の状況が変化していくということをつい忘れがちだ。
変化の少ない時代であれば、人生戦略も単純である。たとえば、なるべく大きな会社に入り、なるべく長く勤め、安定した老後を送る・・・。
ところが、大きな会社に入ったはずなのに、10年後にはその会社はグローバル競争に負けて、リストラされてしまった・・・、こんなことが当たり前に起こるのが変化の多い現代だ。
変化を前提にしてキャリアを考えるのであれば、ひとつの会社に定年まで働き続けるというのが望めないのだから、一定の時期までは経験やスキルを身に付けるためにその会社で働くが、時期が来れば独立するなり、別の会社に移るなりして、自分の食い扶持を稼ぐことになる。
スキルも人脈も、社内でしか通用しないようなものは無意味で、常に世の中で自分がどう役立てるか?を意識して自分を磨いていなかくてはならなくなる。
ちきりんはこのあたりのことを「市場感覚」と言っている。発展途上国で交差点で止まった車に新聞や果物を売りに来る子供なんかは良い例だ。彼らは何をいくらで売ればいいかを体験的によく知っているが、公務員を定年退職した人がそういう感覚を持つのは難しいだろう。
ちきりんはさらに職業選択を2回する前提でキャリアを考えることを提案している。
定年が70歳に延び、50年も働かなくてはならない人生で、しかも変化の多い時代に、ロクな職業経験もない若者がベストな会社を選び採用される可能性などほとんどない。
学卒の就活なんてものは、社会人としての経験と基礎的なビジネススキルを身に付けるための腰掛けと割り切ってどこかに入り、そこで働きながら第2のキャリアを構想していくのが現実的だ。
第2のキャリアは経験値が増している分だけ、第1のキャリアより成功する確率は高くなる。ここでいう成功とは、より私らしい、幸せな働き方という意味だ。
私は実は学生の頃、小説家志望だったのだが、その理由のひとつには、自分の時間を自由に使えるということがあった。
残念ながらその夢は叶わなかったが、現在の私は小説家とは別の形(社会保険労務士)で時間的な自由を手に入れることができていると思う。そういう点では私の第2のキャリアは一定の成功と言えるかもしれない。
ちきりん曰く、変化の時代を乗り切るために、ストック型からフロー型へ考え方を変えることも大事らしい。
お金を例にすると分かりやすい。
例えば老後の生活について、貯金を切り崩しながら生活費を賄っていく人はストック型。貯金は無いけど、手に職を持っていてそこから一定の収入を得て暮らしていく人がフロー型。
自分が80年生きるか100年生きるか分からない前提で幸せなのは果たしてどちらか?
これは間違いなくフロー型だ。
いつか貯金が底をつくのではないかとドキドキしながら切り詰めた生活をするのが幸せなわけがない。そのくせ、そうして必死に残した貯金は死んでしまえばもう使えない。
私は不動産を所有していないが、変化を前提に考えると35年もローンを払いながらひとつの不動産を持つというのはなかなかリスキーだ。
もちろん住宅ローン減税なども考慮に入れなければならないが、本当に大きな家が必要な期間は子供が13歳~18歳くらいの間だけだ。
私は持論として男の子はさっさと自立するに限ると思っているので、東京でも海外でも行ってもらって構わない。
女の子も早期に結婚できるとは限らないが、いずれにしてもあまり居心地のいい家を用意しないことで、自立するように仕向けようと思っている。
今回私は知立の自宅兼事務所の定期借家契約を更新してもらえず、別の賃貸物件を探すハメになった。
最初はえらいことになったと若干慌てたが、変化を前提に考えていれば割と平気だ。むしろ新しい物件やお得な物件と巡り合うチャンスかもしれない。新たな人との出会いもあろう。
子供たちも今のうちからフロー型の考え方を身に付けさせておけば、将来変化に強い人間になるだろう。
ひとつところで育つよりも、引っ越ししながら多様な地域での生活を経験させた方が視野も広くなる。
転校を経験することで、見知らぬ土地で新たな友達を作る方法を身に付ければ、それだけ怖いものが無くなることだろう。
不運な出来事が人を鍛えてくれる。そう思えばリスクもチャンスに思えてくる。
消費者目線で感じたこと(自転車購入)
マーケティングにからめて、ついさっき体験した私(GOLGO)の実話。
今日、買ったのは6万円のクロスバイク。
長文ですよ。
一軒目のお店は、近所の某サイクルショップ。
それなりに展示台数もあり、子供の自転車は毎回ここで買っていた。
クロスバイクは前から欲しくて、買う気満々で店に入った。
が、店員さんは2人しかおらず、他のお客さんの相手で忙しそうで、目も合わせてくれない。
それでも10分ほど順番を待って、店員さんに声をかける。
「今までママチャリしか乗ったことがないんだけど、クロスバイクが欲しいのですが?」
展示してあるクロスバイクは2万円~8万円で5種類ほどあり、値段とモデル名しか書いてない。初心者には、どう選べばいいのかわからない。何がどう違うのか?
「高級品はギアの段数が多く、軽い素材を使用しています。ハウスブランドの物は機能的には劣りませんが、お値打ちです。色やカタチはお客様の好みでお決めください」
確かに合理的な説明だ。
道具(例えばママチャリ)を買うならこの説明で十分だろう。
道具を買うなら、ハウスブランドの安物で機能的には十分だと納得できる。
だが、私にとってクロスバイクは道具ではなくおもちゃなのだ。
おもちゃの場合、初心者だから安物が欲しいとは限らない。
1台しか買えないおもちゃとしての自転車は、価格や性能だけでなく、どれだけ自分を楽しませてくれるか?どれだけ愛着を持って乗ることができるか?が重要になる。
ここで重要なのは、客観的価値よりも主観的価値。
色やカタチも含めて、店員さん、あなただったらどれが欲しいか?
こんな時、理想の店員さんは自分が選びに選び抜いて買った愛着ある自転車を所有しており、その自転車のプライスレスな価値についてストーリー仕立てで滔々と語れるような人だ。
私にとってクロスバイクは高額商品でもある。一生にそう何度も買うわけではない。
高額商品の場合、何を買うかだけでなく、誰から買うかも重要だ。
・信頼できる相手かどうか?
・商品についてよく分かっている相手かどうか?
・この人から買いたいと思える相手かどうか?
分かってない相手に対してこんなことを求めても始まらないので、この店は諦めることにした。
2軒目はこのお店。
http://www.o2lief.jp/
ここを選んだ理由は、スポーツサイクルショップと銘打っている所。
限られた時間を費やす上で、近場の次は専門店に賭けてみることにした。
果たして専門店が、スポーツサイクルの初心者に対してどんな売り方をするのか?
お店の大きさはさっきのお店と同じくらいだが、店員さんは5人ほどいる。
笑顔で迎えてくれたカウンターの女の子に「カッコいい自転車が欲しいんですけど」と言ってみると、奥で整備しているお兄さんたちがクスクス笑う。
彼女はこの謎かけにどう応えるか?
女の子はすぐにカウンターから出てきて「カッコいい自転車ですか? どんなのがいいですかねえ~」と展示してある自転車の方へ案内してくれる。
そこへいつの間にか健康そうなおじいさんの店員がやってきて「50キロ以上乗るのかい?」と聞いてきた。
いえいえとてもそこまでは・・・でも日帰りでサイクリングに行きたいな。
「だったらコレがいいんじゃない?」と6万円のクロスバイクを指す。
いつもならここから価格、性能、デザインなどを勘案して、商品の選定が始まるのが常だが、おじいさんはまず乗ってみろという。
外へ連れ出され、試乗車のサドルをテキパキと調整し、ギアの操作方法を説明。私の名前も聞かずに店へ去ってしまう。
幸い天気は絶好のサイクリング日和。
気持良くペダルを漕ぐと、とにかくこの自転車が欲しくなった。
短所は特に感じられない。
デザインもまあまあだ。
わずか3分ほどの試乗だったが、30分説明を聞くよりも説得力があった。
店に戻る頃には、これでいいかな?という気持ちになりかけていた。
機能的な面ではグリップの面積が広くなっていて、体重を乗せ続けても疲れにくそうなところが気に入った。
同じくらいの値段のマウンテンバイクも試乗車があり、軽く乗ってみたが街乗り中心の私にはちょっとヘビーな感じがした。
結局さっきのクロスバイクの色のチョイスを女の子と相談し、車体の選定が終了。
その後、何にでも詳しいおじいさんが、スタンドや空気入れ、ライトなどを選んでくれた。
最後にサービスのコーヒーを飲みながら会計終了。
正直、価格は一軒目の方が安かったし、品質もそう変わらないだろう。でも、納得感が全然違う。
一軒目のお店では、試乗車は無かった。
店員さんの説明は、間違いではないのだが、高額おもちゃの購入を意思決定させるには不十分だった。周波数が合わない感じ。
二軒目のお店は、ちゃんとお客の気持を分かっている感じがした。きっとあのおじいさんも女の子も、スポーツサイクルが大好きなのだろう。
一軒目のお店を出る時にはため息まじりだったが、二軒目のお店を出る時は幸せな気分だった。
人がどんな理由で購買を決定するか?
主観的価値とは、誰が何と言おうとも「私が気に入った」ということ。
他との比較なんかどうでもいい。
購入可能な範囲なら、価格で決めることもない。
なんとなく恋愛に似ている。
恋愛ですべての選択肢を合理的に判断?なんて馬鹿げてるように、お気に入りの商品を探す上では合理性より大事なことがある。
それはもしかしたらドラマ・・・物語なのかもしれない。
新年明けましておめでとうございます!
2013年がスタートしました。
選挙も終わり、円相場の流れも変わり、日経平均は1万円を突破して、経済的にも新しい風を感じさせる年明けに思えます。
この風をうまく捉えて、順風満帆の船出と行きたいところです。
今年のGOLGO社労士事務所は助成金と給与計算という、企業労務の大事な攻めと守りに重点的に力を入れてゆきたいと考えております。
これまで以上に皆様により良い知恵と情報を提供するべく、所長の木村は、グロービスマネジメントスクールで経営学を基礎から学び直してくる予定です。
今年も皆様の転ばぬ先の杖であり、成長を加速させるターボエンジンであり、そして何よりも安心と気づきをもたらす相談相手として、がんばってまいります。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
GOLGO社労士事務所 所長
合同会社GOLGO 代表社員
木村正士
断食道場
2泊3日の断食道場に行ってきました。
人間の行動は欲に左右されるものなので、最も基本的な欲求である食欲をコントロールできるようになることが、経営者としての合理的なタイムマネジメントを達成するためにどうしても必要だと感じていました。
断食道場のことは、マネジメントゲームで知り合った森本さんから教えて頂きました。
今回参加したのは、以前に紹介したことのある「人間の頂」の著者・野口法蔵氏が発案した断食法を岡山県の「百姓屋敷わら」の船越康弘氏が許可を得て行っている「座禅断食inわら」です。
ここの断食は、自然食の専門家である船越氏が用意してくれる断食明けの食事が非常に美味しいと評判だと聞いていました。
せっかく辛い断食をするのだから、せめて明けの食事くらいは美味しいものを食べたいと思い、ちょっと遠いですが行ってみることにしました。
野口式の断食では、二日間の断食の後、大根と梅を食べ、水分を大量に摂ります。そうするとお腹の中に溜まっていた宿便が一気に出て、健康になるということです。
実は初日の朝食から抜かなくてはならなかったのですが、私はうっかり朝ご飯を食べて出発してしまいました。
新幹線で岡山まで行き、そこからJRとバスを乗り継いで、さらにバス停から出迎えの車で15分ほど走ってようやく「百姓屋敷わら」に到着しました。
初日はもちろん食事は出ず、夕方6時から1回20分の座禅を1時間ごとに3回行います。
普段、イスで生活しているため、姿勢を正して座禅を組むとすぐに足が痺れてきます。
最初は本当に20分が長く感じられました。
本当にやりきれるのか不安でしたが、不思議と人間の身体は適応力があり、徐々に足は痺れなくなりました。
座禅の合間には、講師の船越さんが色々な話をしてくれます。
参加者は7名で、今回は年末のためいつもより少なめだったとのこと。
7名のうち、男性は2人だけでした。どうも断食は女性に人気のようです。
初日の座禅終了後は、軽く入浴をして就寝します。断食中は長風呂は避けるように言われました。
この時点では、それほど強い空腹感は感じませんでした。
もちろん、普段の生活の中に必ずある食事というイベントがありませんので、違和感はありますが、体調も特におかしくはありません。
二日目の朝は天気も悪く、寒々しかったので、他の皆さんもテンションが下がり気味だったように思います。
座禅をする広間には、常にポットに番茶と玄米コーヒー、水が置いてあり、自由に飲むことができます。
朝は少し水分を多めに摂るようにしました。
私は取りませんでしたが、塩も置いてあり、欲しい人は摂っても良いということでした。
朝は6時半の読経から始まります。
般若心経を始め、いくつかの経をみんなで声を出して読みます。
その後、1時間ごとに5回の座禅を行い、午後1時に合掌業というのをやります。
この合掌業というのがとてもきつくて、額の前で合掌したまま、正座をして般若心経を10回唱えるのです。
やってみると分かりますが、合掌した腕がだんだん震えてきてこらえきれなくなってきます。
般若心経1回が約2分ですので、合計20分。
途中、もうダメかと思いましたが、周りの人もがんばっているのでなんとか耐えました。
これを1時間、30回唱えられれば、その人にはハンドパワーが宿るとのことです。
終わった後は皆、汗びっしょりでした。
合掌業の後は、たった一杯だけ野菜ジュースを頂けます。
この野菜ジュース、野口式の断食では必ず出るのですが、ここ「わら」では、特製のものが味わえます。
自家製のにんじんと玉葱、みかんを合わせたもので、ドロリとしたペースト状になっています。砂糖は一切使用していません。
飲んでみると、天然のうまみが濃厚に感じられ、最高の味わいです。
この後、天気が良ければ外を散策する予定でしたが、あいにく雨のため、船越先生お奨めのてんつくマンのビデオを見ました。
それから座禅を挟んで、船越先生の講話を聞きます。
先生がどんな話を聞きたいか?と言ってくれましたので、私はすかさず「『わら』に来るまでの話を聞かせてください」とリクエストしました。
この話は圧巻でした。
世の中でまだ誰も自然食だとか、添加物の恐ろしさなどに気付いていなかった頃から、ひたすら自分の信じた道を進み、家族の病気や不運、不幸などを全て乗り越えてここまで来られた先生の身の上話は2時間以上続きました。
本来なら場所が最も大事なはずの民宿を、誰も来ない人里離れた山奥に作り、肉も魚も使わない料理でおもてなしする、という普通の商売の常識からは考えられないやり方でした。
開店から半年は、お客さんはひとりも来なかったそうです。
でも、半年後にやってきたたったひとりのお客さんを皮切りに、そこから先はクチコミだけであっという間に年間6000人が訪れるようになっていったそうです。
まったくブレない船越さんの考え方に共鳴する人がどんどん増えていったそうです。
二日目の晩になると、空腹感はかなり本格的になってきました。
座禅をしていても、あちこちでお腹の鳴る音が聞こえてきます。
でも、身の回りに誘惑がないせいか、食べたいという欲求にはさほど悩まされませんでした。
むしろ、空腹の時の方が体調がいいくらいでした。
(参加前に私が感じていた不安は、冬だということもあり、断食中に風邪をひいたりして体調を崩したらどうしようというものでしたが、結果は逆でした。現代人の内臓は過度の栄養摂取に疲れ切っており、サプリメントや薬などを加えるよりも、まず食物を減らし、内臓を休め正常に戻すことが健康のために必要だそうです)
三日目は晴れました。
もう、ここまで来るとあと少しです。
参加者の皆さんの表情もとても明るく、会話もはずむようになりました。
朝3回の座禅をした後、いよいよ明けの食事開始です。
最初はまず真水を茶碗一杯飲みます。
次に大根の煮汁に梅酢を少し入れて飲みます。
最初の一口は、梅酢を入れずに飲んでみたのですが、これがうまい!
出汁も何も使わず大根を水で煮ただけの煮汁ですが、ほのかな甘みが感じられます。
どうやら断食明けは味覚がとても鋭くなっているらしいのです。
次に大根煮に味噌を付けて食べ、生のにんじん、キャベツ、カブ、こんにゃくを食べます。
煮汁も何杯もおかわりします。ひとり最低梅干しを10個食べます。
食べ始めてから1時間くらいすると便意をもよおします。
そして宿便が出ます。
宿便が出た後も、フルーツやヨーグルト、パンなどを食べながら、3~5回トイレに行きます。
汚い話で恐縮ですが、大根がタワシであり、梅酢が洗剤の役割となり、腸の中を洗浄するそうです。
このまま便意が止まらなくなるのではないかと不安になりましたが、誰もそんなことはありませんでした。
昼過ぎには全員が宿便を出し終わり、感想文を書き、記念撮影をして解散となりました。
断食は予後の対処が最も重要だそうです。
予後3日間はそば、うどん、パン、野菜(芋と豆は禁止)、果物しか食べてはいけません。
4日目~7日目は普通食に戻しても良くなりますが、通常の半量程度を心掛け、肉、酒、たばこ、性交渉は禁止とのこと。
断食によって腸壁が再生され、体内に入った物が素直に吸収されるために気を付ける必要があるとのことでした。
8日目以降も、小食の習慣を身に付けることが断食の効果を長持ちさせるコツとなります。
朝食を抜くことがお勧めだそうです。(賛否両論ありますが・・・)
これを書いているのは断食明けの翌日ですが、体調は良好です。
日頃デスクワークが多く、運動不足のせいか、寒がりな方なのですが、断食後はあまり寒さが苦にならなくなりました。
食事は「わら」で買った手打ちうどん(これがまたうまい!)とパンのみです。3日間はこれだけで過ごします。
朝食は抜いてます。
以前は朝食を食べないとアタマが働かないような気がして、食べるようにしていましたが、断食を経験すると少々の空腹には耐性ができたのか、あまり不自由を感じません。むしろ、空腹気味の方が疲れにくく、仕事もはかどります。(ただし、怒りっぽくなるので注意だそうです)
私の趣味(どうでもいい、つまらない話)
YouTubeで昔の大河ドラマを見るのが好きです。
小さい頃から母が大河ドラマが好きだった影響で、「黄金の日々」「おんな太閤記」などを見て育ちましたから、歴史モノが好きになったのかも知れません。
ただ、大河ドラマもその年によって見る年と見ない年とがあり、高校を卒業してから20代のひとり暮らしの間はほとんど見てませんでした。
そんなわけで、最近風呂上がりにiPadで昔の大河を見るようになりました。
ちなみに今年不評の「平清盛」も見ていますが、11月頃になると大河ドラマから季節感を感じるのです。
大河では、あるひとりの人物の生涯について物語が綴られますが、11月頃になると主人公の人生も晩年に差し掛かります。それがちょうど晩秋の季節と重なってなんとも言えない悲哀と無常観を感じます。
人の人生はいつか終わり、新たな生にバトンタッチします。
1年も12月には終わり、新たな年にバトンタッチします。
私が大河から感じる季節感とは、そのようなものです。
知立市長選挙の公開討論会
地元知立市の市長選挙の公開討論会に行ってきました。
現職の林郁夫さんと、立候補予定者の杉原ゆきやす市議、そしてコーディネーターの児玉克哉さん。
主催は知立青年会議所とJCの上部組織である愛知ブロック協議会の中になるローカルマニフェスト推進委員会の皆さんでした。
進行上は経験豊富な児玉さんが、極力両候補者に平等になるような配慮をしていました。
座る場所や話す順番など、普通ならどっちでもいいのでは?と思うようなことまでも、平等にするべく考え尽くされていた感じがしました。
プロフィールを見ると、林さんは市役所職員出身、杉原さんは不動産業を自分で起業された経営者出身。
主張している政策も、林さんは福祉重視、杉原さんは経済的発展重視でした。
政策の方向性がこのくらいはっきりと分かれていると、有権者も選びやすい気がします。
私個人の意見ですが、とにかく知立の駅前をなんとかしてほしいです。
私は飲んだ後にラーメンを食べるのが好きなのですが、知立の駅前にはほとんどラーメン屋さんがありません。特に遅い時間になるとお店もみんな早仕舞いしてしまい、なんとも寂しい気がします。
経営者らしいものの考え方【比較優位】
なかなか職人から経営者に移行できない人に私はこの話をします。
モレなく、ダブリなく
先日、グロービス経営大学院というところで、セミナーを受けてきました。
お題は「クリティカルシンキング」。略してクリシンというらしいです。
「論理を構造化」して「価値あるメッセージ」を導き出すというと何やら難しく聞こえますが、今回実際にやってみたのは、簡単に言えば「モレなく、ダブリなく」ということです。このような状態のことをMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)といいます。
つまり、物事を考えたり、議論したりする時に、物事の捉え方にモレやダブリが無いかを確認しながら進めていくようにすると、うまく本質に辿り着ける可能性が高まるということです。
例えば、
成人女性をOLと主婦に分けた場合、学生、フリーターなどは含まれないので、モレがある。
成人女性を主婦、OL、学生に分けた場合、主婦かつ学生、OLかつ学生というダブりが含まれる。
成人女性を20代、30代、40代、50代、60代以上、のように分けると、もれなくダブリがない。
ビジネスマンの仕事の大半は、
「情報の伝達」と「情報の分析」に集約されます。
これには論理力と分析力が必要です。
ここで、論理的思考力=クリシンが役に立つのです。
セミナーでは様々なビジネスシーンを想定しながら例題について実際にグループ内で議論し、意見を出し合いました。例えば、「電話での問い合わせが多いために対応に手間取ってしまい、業務効率が落ち、顧客の信用も低下してしまっている」などというお題について、原因の切り分けや問題の本質を探ってゆきます。
この時に、ロジックツリーといって全体を部分の集合に分けていくと物事が捉えやすくなります。
このロジックツリーを作る時に、分け方がMECEかどうか?を意識しながら考えることが必要です。
このような感じで、クリティカルシンキングとは、
・本質的な問題は何か?
・問題を分解するとどうなるか?
・どのような枠組み(論点)で考えるか?
といった本質に迫るためのいくつかの視点を持ちながら、物事を「考えるための考え方」のこと、ひいてはその「考え方」ができるようになるためのトレーニングの場だそうです。
何でもそうですが、「わかる」と「できる」は違います。
ましてや、本を読んだだけで「わかったつもり」になっているだけだったり、さらには本を買っただけで満足して「いつかそのうち読もう」で終わってしまう人とは、結果は自ずと違ってくる・・・ということで、確かに勉強しなくちゃいかんなぁ、という気持になりました。
iphone5を買いました
今頃になって初めてスマホに手を出したのですから、特に新しいもの好きというほどではありませんが、楽しく使ってます。
よく使う機能としては、
①メール
②カレンダー
③WEB閲覧
④カメラ
この辺りでしょうか。
マップも以前のGoogleマップの頃は使いやすかったのですが、ios6になってから使いにくくなってしまい、方向音痴のGOLGOには辛いところです。
あと、単純なアプリですがevernoteというのがあります。
これは単なるメモ帳なのですが、iphone-iPad-パソコンの間でデータを同期(共有)できるところが便利です。紙のメモ帳と同じように、iphoneをいつでもどこでも持ち歩くことでメモすることができて、なおかつ自宅のパソコンやiPadでもそれらを見たり、編集したりすることができます。
スマホの便利さというのは、この同期という仕組みによるところがとても大きいと思います。
自宅、会社、外出先など、それぞれのシチュエーションで一番便利なメディアを使い、しかもその中のデータはみんな同じだというところが便利だなあと思います。
経営者らしいものの考え方(機会費用)
機会費用という言葉を知っていますか?
この言葉(考え方)は、現代の経営者が毎日アタマを悩ませていることの基本となる概念です。
経営者の仕事は意志決定ですが、意志決定のための根拠として「費用」を考える人は多いでしょう。
例えばとなり町まで電車で行けば120円、タクシーで行けば1000円掛かるとします。
この場合、電車の費用は120円、タクシーの費用は1000円です。
費用だけを考えれば、電車の方が費用が安いから電車で行く、となるはずです。
ところが、物事は単純な費用だけでは比較ができないことが多いのです。
ここから駅まで歩くのに15分かかり、駅に着いても電車は30分に1本しかなく、隣の駅から目的地まで15分歩かなくてはならない・・・こんな場合に電車とタクシーを費用だけで単純比較はできません。
単純比較できない物事を前にしたとき、「機会費用」という概念がとても役に立ちます。
機会費用とは、ある選択をした場合に、別の選択をした場合に得られるであろう価値をその選択の対価(機会費用)として捉える考え方です。
もしも、 その人が1時間に1万円分の仕事をできるとしたら、電車に乗ってとなり町まで行くのに場合の機会費用は、次のように計算できます。
電車に乗ることを選択したことで掛かった時間=15分+30分+15分=1時間
この1時間で稼げたであろう価値=1万円
電車代=120円
機会費用=10,120円
これに対し、タクシーに乗ることを選択した場合の機会費用は次の通り。
タクシーで15分掛かるとすると、その15分で稼げたであろう価値=2500円
タクシー代=1000円
機会費用=3,500円
つまり、1時間に1万円稼げる人ならタクシーを選択した方が、その人がトータルで稼げるお金が増えるということになります。
逆に1時間に1000円しか稼げない人の場合、
電車を使う場合の機会費用=1,120円
タクシーを使う場合の機会費用=1,250円
となり、電車を使った方が合理的だということが分かります。
ちなみに機会費用は時間だけではありません。その人がその行動を選択することで、その間別の行動をした場合に稼げること全てがあてはまります。
例えば健康などがそうです。
その日が非常に寒い日で、電車を選択した場合に風邪を引いてしまい、仕事を3日も休むことになったとすると、機会費用は3日分の稼ぎということになります。
まずは、機会費用という言葉をアタマの中に定着させて、日々の行動選択の時に自分の機会費用を考えてみてはいかがでしょうか?
書籍の紹介(死ぬときに後悔すること25)
この本はアマゾンで偶然見つけました。
タイトルを読んだ瞬間「これは読んでおかなくては・・・」と思わせるものがありました。
著者はホスピスで末期癌患者の苦痛を和らげる治療を専門とするお医者さんです。
その先生が、これまで数限りない患者たちを看取ってきた中で、人が死ぬときに後悔するパターンを25通り実際のエピソードと共に挙げています。
・健康に関すること(4項目)
・自分自身の夢や自己実現に関すること(6項目)
・社会との関わりに関すること(6項目)
・恋愛や結婚に関すること(5項目)
・宗教や哲学に関すること(3項目)
・家族に関すること(1項目)
死んでゆく人々が、ほぼ例外なく残す言葉があります。
「人生はあっという間だった」
人は死期が迫るその時まで、自分の人生の本当の長さを知ることができません。
だからこのように思うのでしょう。
いつ死ぬか分からない人生を、後悔せずに生きる方法はたったひとつ。
「いつ死んでもいいように生きる」
そこで、後悔というものの性質について考えてみました。
先ほど挙げた6つの分野について、どれかひとつでも大きな後悔があると、他のすべてが完璧であったとしても、その人の最期の時、なかなか笑って死ねないものではないかと思います。
逆にどの分野も完璧ではないけれど、どれも8割くらいは満足できる、それなりに納得できる人生を送れたならば、人は自分自身を許してあげることができるのではないかという気がします。
だからある日突然、人生の最後がやってきてもいいようにするには、6つの分野のうち後悔しそうなことがある場合は、そこにもっともっと時間やお金や労力を費やして、人生のバランスを取っておくことが大切なのではないかと思います。
『バランスの悪い人生には、大きな後悔が待っている』
書籍の紹介(断食道場の先生の本「人間の頂」)
『人間の頂』 野口法蔵 (PHP研究所)
野口さんのことは友人から紹介された断食道場のHPで知りました。
食べ物やモノがあふれる日本を飛び出し、インドで輪廻転生思想のカルチャーショックを受け、ついにはインドで出家してしまいます。
疫病や飢餓、貧困の渦巻く30年前のインドでは、豊かな日本からは想像もできないような形で人が死に、燃やされ、河に流されていきます。
そのような状況なのに、インドの人は、どうしてこんなに明るく死んでいけるのだろうか?
その答えが輪廻転生思想でした。
・徹底してモノがないインドの寺院での修行生活
・食べるものは麦の粉を自分の唾で固めたダンゴのみ
・指が凍って折れるようなマイナス40度の真冬でも僧衣一枚で下着はなし
・一切の道具を使わずハガネを石で叩いて針を作り、一週間かけて針に針で穴をあける修行
・「何でこんなことを?」と思うようなことをやり通した後に「体得」がある
・チベット式の教えには説明がない
・人間の不幸はほとんど自分で種をまいている
・欲を満たそうとするから、更に欲が出る
・修行とは、体が覚えるということ
欲といかにして向き合うかは、インドよりもむしろ豊かな日本の方が喫緊のテーマだと思います、
ご馳走を食べるのは簡単、でも身体のことを思うと・・・こんな悩みから解脱したい方にはちょっとお奨めの本です(すでに絶版ですが、図書館で探すといいかもしれません)。
以下は野口さんの座禅断食が載っているHPへのリンクです。